ピレウス港とソクラテス


 http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160411/frn1604110835002-n1.htm
 (『中国、ギリシャピレウス港「獲得」 チラつく海軍拠点化の野望 』) 


 ピレウス港へは地下鉄が走っていて、若いころアテネに宿泊したとき、街をぶらついたり、バスでペロポネソス半島のコリント(古代コリントス遺跡)に行ったりで、乗る機会をつくれなかった。プラトンの著作で、ソクラテスおよび弟子の青年たちがアテナイの町とその外港のピレウス(ペイライエウス)を往復していたことは知っていた。書庫から岩波『プラトン全集』の5巻『パイドロス』と11 巻『国家』を取り出してみた。どちらも冒頭にペイライエウスが出ている。
ソクラテス:やあ、パイドロスどこへ? そしてどこから来たのかね? 
パイドロス:ケパロスの息子のリュシアスのところ(※ペイライエウス)から来ました、ソクラテス。これから城壁の外へ散歩に行くところです。なにしろ、リュシアスのところで朝はやくから腰をおちつけて、ずいぶん長く時をすごしてしまったものですから。私は散歩といえば、あのあなたにも私にも仲間の、アクメノスの言にしたがって、大道を闊歩することにしています。つまり彼の説によると、疲れをいやすにはそのほうが、ドロモス(※走り場or競争用のコース)を歩くより効果があるそうですから。……(『パイドロス』藤沢令夫訳・p.130)
ソクラテス:きのうぼくは、アリストンの息子グラウコンといっしょに、ペイライエウスまで出かけて行った。女神にお祈りを捧げるためだったが、もうひとつには、そのお祭がこんど初めての催しだったので、どんなふうに行なわれるものか、見物してみたいという気持もあった。
 お祭りの行列は、町の人たちのもなかなか見事だと思ったが、しかしそれに劣らずひときわ見ばえがしたのは、トラキア人たちが行なった行列だった。……(『国家』藤沢令夫訳・p.22)

 クセノフォン(クセノフォーン)の『ソークラテースの思い出』(岩波文庫・佐々木理訳)にも、アテナイの外港ペイライエウスについて記述しているところがある。
◯するとアリスタルコスは言った。
「いや全く、ソークラテース、なんともかとも当惑しきっているのだ。市の内乱がはじまって以来、たくさんの者がペイライエウスへ逃げたものだから、後に残された女どもが、姉妹だの、姪だの、従姉妹だの、ぞろぞろ私のところへ集まってしまい、いま家には奴隷は別にして十四人の人間が居る。(略)」……(p.104)