昨日10/14(水)は、じつにひさしぶりに東京渋谷Bunkamuraのシアターコクーンで、赤堀雅秋演出の『大逆走』を観劇した。この映画監督でもあるらしい演出家の舞台を観るのは、はじめてであるが、なんと千葉県船橋市出身で、『津田沼』という作品もあることがわかった。今後の仕事に注目したい。
http://blogs.yahoo.co.jp/tonton_0909/21948427.html(「赤堀雅秋演出『津田沼』」)
STAFF:作・演出=赤堀雅秋、ステージング・ディレクター=小野寺修二、美術=金井勇一郎、照明=原田保・吉川ひろ子、音響=井上正弘、衣裳=十川ヒロコ、ヘアメイク=鎌田直樹、演出助手=坂本聖子、舞台監督=南部丈
ステージング・ディレクターとして小野寺修二が参加しているのであるから、舞踏&ダンスのシーンがそれとなく盛り込まれ、暗転の場面ごと舞台装置&小道具の設定をダンサーらが、ダンスとともに実行するという斬新な進行で、これだけでも楽しめる。昔観た天児牛大(あまがつうしお)主宰山海塾の舞踏の舞台を思い起こした。小野寺修二演出の舞台は、ダンサー首藤康之と女優原田知世共演のフィジカルシアター『シレンシオ』を観ている。
演劇評論家山本健一氏のパンフレット解説「時代と人間のシンクロする瞬間を描く」では、赤堀雅秋の劇世界におけるイメージと観念は、犯罪劇であること、社会劇で怒りの演劇であること、性の描き方が強烈で排泄へのこだわりを伴っていること、暗さと笑いが一緒にあること、だとのことである。「赤堀が世間に放つ哄笑は、しがない人々の平凡な暮らしの中に突然訪れる断絶の中で、どう響き、共振するのだろう」と、山川健一氏は書いている。
トイレが海につながっていたりして、唐十郎以来のアングラ演劇の〈伝統〉も思わせれば、蜷川幸雄風な仕掛けもあり、吊るされた不思議美少女佐久間道子(吉高由里子)は、ピーターパンと重なるイメージでもあり、歌舞伎の捕り物の集団動作を取り込んだり、とにかく多彩な舞台藝能を食材とした鍋料理といった趣きであった。格別の印象を残したのは、ハムレット劇を夫真鍋和彦(池田成志)相手に稽古し続ける真鍋順子役の秋山菜津子である。狂おしいばかりに発散するものと存在感が素晴らしい。『下谷万年町物語』の李礼仙(現・麗仙)にも匹敵しよう。
暗いところはたしかに暗く、『アルトナの幽閉者』のサルトルの闇もある。しかし反転して笑えるところが多かった。だいたい北村一輝と大倉孝二の共演では、TVドラマの竹内結子主演『ダンダリン 労働基準監督官』(音楽:浅草ジンタ)を思い出す。この二人が並ぶだけで愉快になってしまう。
スカトロジカルな台詞や場面の頻出は、個人的にはうんざりである。形而下的に身体にこだわっているようで、演劇空間にあっては、それは身体ではなく、身体論でしかないだろう。つまり案外と観念的なのである。現実に排泄の問題とは、次のようなものである。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=115283(「汚いトイレ、行きたくない…我慢してぼうこう炎や便秘に」)
さて吉高由里子、自分が何者なのか捉えかねている不思議美少女の役で、そのまんまといえばいえる。生吉高由里子を間近で観るのは今回はじめてだが、たしかに美しい。本人自身がこの美少女役を捉えかねているような戸惑いと区別できず、いよいよ謎の印象を与えた。驚いたのは、出会ったばかりの人たちと車で移動する場面で、「おまんこだ!」と何回か叫ぶところ。もはやオワコンのフェミニズム社会学者まで舞台の蔭に登場させるとは。この若い女優に相応しいと判断された台詞であったのだろう。いやはや。終演後のカーテンコールで、吉高由里子さん、最初のときは何か放尿、元い放心したような表情を見せていた。いつかこの女優のオフィーリアを観てみたいものである。
地下鉄銀座線渋谷駅は、老朽化してまったく変わっていない。階段を何段も昇り降りさせるこの駅はもう利用したくない。整形外科で出してもらった消炎鎮痛剤セレコックス錠(セレコキシブ)のおかげで、なんとか切り抜けられたのではあった。
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1149037.html(「セレコキシブ」)
⦅写真は、東京台東区下町民家の西洋朝顔。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆