『知ろうとすること。』を読む

 早野龍五・糸井重里共著『知ろうとすること。』(新潮文庫)は、時宜を得た出版である。あの福島原発以後「いますぐに事実とわかること、そして、のちのちやっぱり事実だったのだと認められること、このふたつを、とにかく目を光らせて探さなくてはなりません」とする糸井重里さんが、ツイッターで物理学者として、「少しずつわかっていく事実」に関する確かな情報とデータを「脅かすこともなく、どう考えるべきかについて強要することもなく、激せず、飽きずに伝え続けてくれた」早野龍五東大教授に、福島での主として放射線の影響について科学者としてどう対処してきたのか、一般の人はどう対応したらよろしいのかをめぐって疑問をぶつけ、教授がこれに応じた過程を記録したものである。題名の『知ろうとすること。』と「。」が付いているのは、ひとつの文章であることを示し、何か「こと」=「知識・情報」を与えるのではなく、あくまでも科学的な知見を踏まえた、あるいは求める「こと」=「態度・姿勢」を読者に要請しているからであろう。
 さすがに亡き詩人の吉本隆明と共同作業をした糸井重里さん、素人の立場で機転の利いた受けとめ方をし、また歌舞伎通の早野龍五教授も、相手の台詞に上手に合わせている。重い課題を扱いながら読み物として面白いのである。例えば、ビッグバンの後、超新星爆発によって、「星が営々と作ってきたさまざまな元素が宇宙空間にばら撒かれ」水素とヘリウム、リチウムぐらいであった元素の種類が豊富になったのだとの講釈を受けて、
糸井:宇宙のはじまりの、最初の爆発で産まれた、そのときの水素が、いまもずっと残っている。
早野:だから、我々の体には、138億年前の水素が入っている。それから、地球生誕前にできたカリウム40も入っている。
糸井:もう、もう、俺ってやつは……。
早野:俺ってやつは(笑)。そういう宇宙の歴史の中で、お星様のかけらが地球に受け継がれ、ぼくらに受け継がれているわけです。
 早野教授はCERN(欧州合同原子核研究機関)を拠点に研究をするエキゾチック原子が専門の物理学者で、事故当初「原発メカニクスというか、機械的な構造に関してはほぼ素人」だったとしている。注目すべき要点を整理しておこう。
◯早野教授は、10年以上前に肺ガンを患い、手術前後、手術、その後の検査と合わせて医療被ばく200ミリシーベルトぐらい浴びている体験をしている。その経験から「被ばくのリスクは個人の事情に合わせて考えることが重要だと」思うに至った。また大学生のころ、ある雨の日外から来た女性技術者の体が放射線でひどく汚染されている状況があり、サーベイメーター&ゲルマニウム検出器を使って調べたところ、核実験以外では計測できないフォールアウト(放射性降下物)が検出された。1973年6月の中国の大気圏内核実験が原因であったと後に判明。そのときの数値との比較から福島原発事故のレベルは、「それほど心配するレベルではない」と予測でき、また「その程度の汚染であれば」フォールアウトは洗い流せるということも知っていた。
◯2011年12月ある市民団体がホールボディカウンターで2000〜3000人分の内部被ばく量を測って、たいへん深刻な結果が出ていた。ところがこのベラルーシ製のホールボディカウンターは、調整不良の機器であることが判明。したがって間違ったデータであったのである。もしこの間違ったデータが広く公表されていたら「世の中の雰囲気は大きく変わった」であろう。「数万人分のデータをまとめて英語で論文を書いて発表したり」だんだんのめり込んでいくことになってしまった。
南相馬で1万人近くの人々を3ヵ月後、半年後と追跡して測定した結果、内部被ばくの量が増えている人はいなかった。1万人に2人くらい、1キロあたり10ベクレルぐらい増えている人もいたが、これは裏山のキノコとか山菜、野生のイノシシなど流通していないものを事故後も継続して食べていた人であった。裏山のキノコを食べないようにと諭して、3ヵ月後に測るとちゃんと減っていた。
◯それまでの個人が受けた外部被ばく量の計測機器を飛躍的に改善したD-シャトルという個人積算線量計を見つけ、教授のポケットマネーでこれに1時間ごとに計測可能なコンピュータソフトにつなげるよう業者に依頼し完成させた。これによって、プライバシーの問題も発生するが、人それぞれの個別データと向き合うことが可能となった。
放射線については「量の問題」が大事なのであって、「福島でたくさんの人の被ばく量を測定したデータをずっと見てきて、内部被ばくと外部被ばくを合わせた被ばく量が、十分に低いと確信した」ので、「私は子どもを産めるんですか」と質問してくる女の子がいれば、「はい。ちゃんと産めます」と、躊躇しないで答えられる。
◯放射性ヨウ素ヨウ素131)は8日で半分になるので、80日で約1000分の1、つまり3ヶ月弱で1000分の1になる。今はなくなっている。公式データで見る限りでは、「そんなにひどい被ばくをした人はいない」。福島で発見された甲状腺ガンについては、「チェルノブイリとのケースと比べると、発生時期も発生している年齢も違う」し、「原発からの距離と発生数の関係性も見られない」。チェルノブイリの場合、事故の4〜5年後に発生している事実があるので、これからの時間をおいた2度目の検査で新しく見つかるかどうか、その結果で決着がつくことである。全国の子どもたちの甲状腺検査を実施して福島と比較すれば、事故の影響かどうかわかるではないかという議論もあるが、もともと甲状腺ガンはほぼ命に別状がないガンであり、不必要な検査で発見することによって当該家族に心理的な負担を与える問題も考慮しなければならない。
◯大人の方がセシウム代謝が遅く、体内に残りやすいので、子どもより検出されやすい。同じ食事をしている家族を測って検出されないなら、一緒に暮らしている乳幼児の内部被ばくの心配をする必要はない、といっても母親たちには納得してもらえない。ベビースキャンが必要であった。優秀な工業デザイナーの協力を得て「子どもたちが怖がらないで中に入れて、さらに4分間じっとしていられる」ベビースキャナーを開発した。
ジュネーブCERNでのヨーロッパの高校生が集まる研究発表会で、県立福島高校に通う高校生3人が、福島原発事故の影響に関する調査結果を質疑応答を交えて、全部英語でみごとに発表した。彼らが「福島の高校生です」と自己紹介すると、ヨーロッパの高校生や引率の先生らが「え? 福島って人が住んでるの?」と訊いたそうである。みずからは正義の側にいると自認している、日本の反原発メディアの責任は限りなく重いといえる。
 http://www.gepr.org/ja/contents/20141104-01/(「福島でのリスクコミュニケーションの重要性(上)-放射能より恐怖が脅威:ジェラルディン・アン・トーマスロンドン王立大学分子病理学教授」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110417/1303024186(『「原子力」のことばから:2011年4/17』)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110419/1303203826(「原発についての聴講:2011年4/19」)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)