相関関係と因果関係


 これは「相関関係」を〈明らか〉にしただけだろう。あまり驚かすものではない。厳密な「(疫学的)因果関係」の判断基準については、次に記されている。
 http://sugp.wakasato.jp/Material/Medicine/cai/text/subject14/no2/html/section3.html
(「疫学の基本」)

 参考にはなるが、科学的なデータ収集・調査の結果報告ではない。
 http://toyokeizai.net/articles/-/13516(「福島原発周辺で「動植物異常」相次ぐ」)
 これは、信頼できそうな報告である。さらに時系列的な調査が求められるだろう。このデータの告げる事実を決して軽視してはならないが、ただちに人間の場合にあてはめられるかどうかについては、慎重に判断するべきである。チェルノブイリ事故のとき、ウクライナのロブノ州ポリシアで、俗世間と隔絶した生活をしていた「森の住人」に先天奇形が有意に増加していたことを思い起こさせる。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111005/1317820151(「胎児・子供の放射線被曝」)
 なおヤマトシジミの奇形に関しては、昆虫学者の批判的見解がある。
 http://d.hatena.ne.jp/horikawad/20120813/1344814974(「ヤマトシジミの奇形は原発の影響によるものか」)
 次のデータは、ある安心と勇気を与えるものである。
 http://www.fukushima-shouhi-kumiai.jp/食堂放射能測定結果/(「福島県庁食堂放射能測定結果」)

 http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2013/13.html(「福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果」)
 放射線と突然変異に関する組織的研究も行われていることが、次のサイトでわかる。
 http://www.irb.affrc.go.jp/(「Gamma Field」)
 しかしいわゆる「風評被害」は、茨城県産作物にも及んでいるとのこと。
 http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-b143.html(「農と島のありんくりん」)
 虫・動物・植物と人間との共生という問題をめぐっては、20114/12のブログでも再録した、かつてのわがHPの記事をあらためて掲載したい。
◆農学博士でカメムシ採集人の高橋敬一氏の『「自然との共生」というウソ』(詳伝社新書)は、いわゆる「自然との共生」の主張および活動が、人間中心の思い込みにすぎないことを暴露し批判している。たしかに人間の側の動植物あるいは自然景観保護の運動は、人間以外の側から見れば恣意的で、人間の都合・美意識によって決定されているといえるだろう。(略)
 高橋氏は、「利己的な遺伝子」が人間生命の本体であるとのけっこう知られた生物学的前提に立って、遺伝子がみずからの繁栄存続のために人間の種と個体を操り、その方向に適う限りで、人間の種・個体が自然を利用・改変してきたのが、これまでの自然との関わりの歴史であって、いまさら「自然との共生」を主張するのは、身勝手にすぎないとする。しかも保護の対象とされる自然景観も、時代ごとの個々人の郷愁によって存在しているのであって、世代によって異なる望ましい景観(の物語)と、人間以外の動植物の生存条件を広い視野で公平に考えているわけではない。
 足尾銅山鉱毒で人間が住まなくなった栃木県渡良瀬遊牧地、アメリカの水爆実験で無人となったビキニ環礁ソ連チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故で「死の地帯」となったチェルノブイリ一帯などは、いま、新しい生き物たちが出現し、「人間の不在」により野生の王国となっているそうである。驚きである。人間の存在そのものが自然破壊の元凶なのだ。この事実を知るだけでも本書を読む価値があろう。
 老荘思想に通じるものを感じる読者もいようが、著者は「自然(じねん)」の自然に身をまかせられるとは信じていない。その点で大いに共感を覚えた。
『だからといって私は、現在も進行している人為的な環境改変が、人間社会の存続に大きな脅威となっているのを否定するわけではない。ただ私は、そうした環境の変化をもはや食い止めることはできないと思っているだけだ。』(2009年4/20記)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、斑入り額紫陽花(ガクアジサイ)の若葉。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆