田中哲司二つの舞台

 いま話題の俳優、田中哲司(てつし)出演の舞台は過去二度ほど観ている。2003年7月、江東区ベニサン・ピットでの、tpt公演・トーマス・オリバー・ニーハウス演出『時間ト部屋』、2005年1月新国立劇場での松本修構成・演出『城』の二公演である。『時間ト部屋』については、かつてHPに載せた観劇記を再録しておこう。田中哲司が主役のKを演じた『城』については、なぜか観劇記が見つからない。


◆忙中閑あり。7/11日(金)の夜は、t.p.t企画公演の、ポート・シュトラウス作、トーマス・オリバー・ニーハウス演出の『時間ト部屋』を、江東区ベニサンピットで観劇。
 ポート・シュトラウスは、かつてペーター・シュタインの演出作品の翻案を手がけ、以降劇作家に転じたそうである。この『時間ト部屋』は、1989年の作品。ひたすら愛想よくかつ挑発的に笑いを投げかける、中島朋子演じるマリー・シュトイバーという女をめぐる、男たちとの出会いと別れのプロット。一貫した物語の構成にはなっていない。場所は、マンションのもともとはマリーの部屋と、オフィスの二つだけ。時間は、リアリズム的時間と関係なく、絶えず登場人物たちが記憶を確かめあおうとすることによって成立する時間であろう。わかりにくいが、興奮させられる。記憶の確認と挫折というスリリングな現場に立ち会えた感動なのであろうか。ひさしぶりに観る塩野谷正幸もあいかわらず存在感があって魅力的だった。ほかに、大浦みずき宮田早苗手塚とおる田中哲司
 マリーがギリシア悲劇のメディアの愛と復讐の情念を称揚した直後の場面では、彼女の官能を誘う身ぶりに、中が空虚な柱が、まるでギリシア悲劇のコロスのように、
 ひと年、ひと年、深く、深く。しあわせが増えてゆくにつれ。
 と、マリーに語り出し、
 わたしは柱。男で女。痛みと苦しみ。/探そうとした。声を見つけた。わたしは言葉のなか。地獄だった。
 と声をあげた。
 演出のトーマス・オリバー・ニーハウス氏 は、述べている。
 極度に人工化した、ときに狂ったように機械的に喋る人物たちを、下が虚ろになっている舞台の床が支えているのは、うわべが、薄っぺらい皮膜がわたしたちの文明を支えているのに似ています。シュトラウスはそのうわべの下で起こっている噴火を、情熱の溶岩を弄んでいるのです。とはいうものの、人物たちのパッションは常に知的に媒介されたものにとどまり、文明化された部分が野性的な部分にまさっています。だから彼らはこうまで悲喜劇的なのです。だからわたしたちは彼らを見て感じるのです。「これはわたしたちなのだ」と。
 たしかに「うわべの下で起こっている噴火、情熱の溶岩」が昨今、さまざまな悲喜劇を起こしていることを思い知らされている。メディアの情念など、もはやどこにも存在しないのである。それにしてもマリーの中島朋子の笑いは、現代資本主義そのもののような笑いとして、両国駅までの路、脳裏から消えなかった。(2003年7/12記)


 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20121229/1356784878(「ルパージュの魔術・美人女優の裸:2012年12/29」)