さまざまな「疑似イベント」




 http://www.gepr.org/ja/contents/20140901-01/(『越智小枝「福島浜通りの現状:敵は放射線ではない」』)
 ダニエル・J.ブーアスティン(Daniel J. Boorstin)のメディア論の古典『幻影の時代』(星野郁美・後藤和彦訳:東京創元社)の「疑似イベント」の言葉を、改めて思い起こさせる。
……合成的な新奇な出来事(イベント)がわれわれの経験には充満しているが、私はそれを「疑似イベントpseudo-events」と呼ぶことにする。このpseudoという接頭語は、「偽物の」あるいは「人をあざむくための」という意味のギリシャ語から来たものである。……(同書pp.17~18)
……出来事を報道し、複製するこのような新しい技術が発達した結果、新聞記者は出来事の起こる以前に、起りそうなイメジ(※訳者は、ブーアスティンの用例に即してあえてイメジと訳す)を描き、報道を準備しておくという誘惑に落ち入った(※陥った)。人間はしばしば自分の技術を必需品と感違い(※勘違い)するようになった。読者や観客は、報道の自然さよりも、物語の迫真性や写真の〈本当らしさ〉を好むようになった。……(同書p.22)
幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)

幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)