建築における「自由」



 まだ新・歌舞伎座での芝居見物はしていないが、建築家隈研吾氏の名を聞いて、ずいぶん前にわがHPに書いた記事のことを思い出した。再録しておきたい。
◆「日本経済新聞」2004年11/7号紙上で、建築家の隈研吾氏が、現代の建築の傾向について興味あることを述べている。氏によれば、90年代以降不景気を背景にして、予算も豊富でゼロから自由に設計できる仕事の依頼よりも、コンバージョン(用途変更)、リノベーション(修復)、リフォームなどの不自由な建築の依頼のほうが多くなってきたのだそうである。不自由な建築の仕事は、低予算ですむかというと必ずしもそうではないそうである。1930年代京都四条烏丸に完成した呉服屋さんのビルでは、外国資材の輸入が容易になった現在でもめったに使用されない、南洋材中もっとも耐久性があり、美しいイペ材という木材が、一階の床材として使われていて、これを再生するのは、まったく新しいフローリング材に貼りかえるよりもよほど経費が嵩むということである。
……しかしそのような不自由な条件でこそ、「自分が今まで思ってもみなかったような素材に挑戦を余儀なくされたり、やったこともないような形態処理を試みる羽目にも陥るのである」。してみると自由な建築というものは、案外大して創造的であったわけではないのかもしれない。
 それらの建築が謳歌した「自由」とは、建築物の周囲の環境への配慮のなさの別名であり、その建築がたつ場所の伝統や風土に対する信じ難いほどの無関心を、都合よく「自由」と言い換えたにすぎなかったのではないだろうか。
 しかも、そこで行われた「自由」な造型は、よくよく観察してみれば、少しも自由なものには思えないのである。材料として用いられるのは、あいも変わらずコンクリートと鉄とガラス。建築基準法の高さ制限の範囲の中で最大限のヴォリュームを確保して採算性を高め、それらの何重もの制約の中で、なんとかして建築家という作家の個性を主張しようという悪あがきが、これらの「自由」な建築の正体だったのである。……
 ここの〈建築〉をほかの文化ジャンルの言葉に置き換えられるのかどうかについて考えさせられる。ともあれ、これから街の風景を眺めるとき、思い起こすべき視点を提起している。(2004年11/28記)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、ヒイラギナンテン(柊南天)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆