リアリズムと夢:志賀直哉「イヅク川」


 大学(東京教育大学文学部社会学専攻)同窓の縁で、市民活動家茂呂秀宏氏から、市民活動理論誌『置文21』(フェニックス社発行)38号(2015年下半期増大号)の恵贈に与った。イデオロギー関連の論稿はあまり読む気も起こらず、ページを捲っていると、随想の部のところに、中川三郎氏の「禁忌と侵犯ー志賀直哉の夢と現実ー(第1回)」の連載論稿あり、関心をもって読んだ。掌篇の随筆「イヅク川」をほぼ全文近く紹介し、論じている。
……まさに現実が夢のようであり、夢が現実のようである。わたしは志賀文学のなかで、こうした美しい情景、鮮烈な風景と人間をえがいた作品群を、「イヅク川」の系譜と名づけたい。というのも、このイヅク川を源流として、幾つもの流れが、わたしの視界に立現われるからである。ここでは夢と現実の境界そのものが、それを分割すること自体が、まるで意味をなさなくなってしまう。その閾値がぼやけて、曖昧模糊とした墨絵か水彩画のような世界に、わたしたちはいつしか誘われるのである。……(p.34)
 同作品収録の岩波文庫志賀直哉随筆集』巻末解説で、高橋英夫氏も「ここにあるのは、リアリズムが高まれば幻想性は小となるという自然主義的な関係ではない。リアリズムが高まるにつれて、かえって幻想性も増大するという独自な心身的な状態が志賀直哉の内部に存在していたのである」と書いている。かつて「清兵衛と瓢箪」の後日談を作品化しているこちらとしては、この論稿を面白く読んだ。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20120625/1340616353⦅「瓢箪ころころ(葫蘆葫蘆):2012年6/25」⦆