追悼・庄司肇

 千葉県木更津市で精力的に文学活動をされていた作家の庄司肇さんが、2月1日(火)に亡くなったとのことである。拙著『メドゥーサの眼』(龍書房)をはじめ、いつも励ましと批評をいただいていた、創作のよき先達であった。文学の志を受け継ぎ、ご冥福を祈りたい。かつてわがHPに、庄司肇関連で記載したものを再録しておきたい。
 ◆作家の庄司肇氏は『室生犀星』(沖積舎)において、室生犀星を従来の《私小説》の作家とは異なる姿勢をとった「異端であり、天才である」作家として評価し、実作者としての面白い論考を展開してるが、こう書いている箇所が眼についた。
『初期の作品や「蜜のあはれ」について書いた私の冊子を受け取った礼状のなかに、つまり文学の勉強をやり、自分でも小説や詩を書いているひとたちのなかにも、予想以上に犀星の作品を読んだことのないというひとが多いことを知り、大袈裟に言えば、驚倒した…。犀星でさえ、これほど読まれていないとすれば、他の作家などの作品の扱われ方は、推して知るべしであろう。こころある出版社は、全集などを出すより先に、ひとりの作家の名作集を幾册かずつまとめて出してみるべきだろう。』
 「蜜のあはれ」のほか「かげろふの日記遺文」「春あはれ」「われはうたへどもやぶれかぶれ」などを、若きころいずれも単行本で読んだ身として首肯できる感想である。読まれないのは文学作品だけではない。
 人文・社会科学書の老舗取り次ぎ店鈴木書店の倒産をめぐって、アダム・スミス研究の大家水田洋名古屋大名誉教授は、「くるべきものがきた、ということでしょう」と語り、次のように述べている。
「学生が本を読まなくなった。学術書が売れないのも当然で、本を読まないことが恥ずかしいとも思っていない。学術書をまともに読んだことがない大学生がこれほど多い国は世界でもまれ。授業をするのも大変で、教養を吸収していく力は落ちる一方だなと何度痛感したことか。自分で物事を考えるという知的教育の基本をおろそかにしてきた戦後教育政策のツケが、今回の背景にあるのでは。(「東京新聞」01年12/9)」(01年12/16記)

◆広島原爆ドームのすぐ近くに、栴檀の樹がほかの樹に雑じって立っていた。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀であるが、知られるように、正確には「双葉より芳し」いのはビャクダンである。栴檀の古名は、おうち(楝)である。
 この栴檀の花と似ているが、花全体が白色なのがヒトツバタゴ俗称なんじゃもんじゃである。よく市川市在住の山崎克己氏の版画と文を載せている「千葉文芸」(庄司肇氏・宇尾房子氏編集)が、8月15日号で終刊だそうで、その最終号に作家の鴻みのる氏が「なんじゃもんじゃの日常」と題する秀逸なエッセイを載せている。久闊を叙するべき女友だちと別れて、帰路の途中駅で上野公園にあった「なんじゃもんじゃ」の樹の枝を折って持っていた酔客と、その枝のことで一瞬の意気投合を果たした〈私〉は、帰宅してから独り住まいのワンルームマンションの部屋で、数カ月前高校生の二人組の空き巣狙いに侵入されたりして気が滅入っていたが、
「この夜の私は一輪ざしを彩るたわわな白い花びらに、限りなく心なごむ思いがした。/戯れに、私は花弁に触れてみた。異性の最もデリケートな部分を愛し始めるときのように、そっと軽く、中指まで添えて。」
 「千葉文芸」のその前の号(7月1日号)では、藤蔭道子さんが「垣根の糸杉にからまりながら咲いているノーゼンカズラ」の生命力を巧みに隠喩とした掌篇小説「返り花」を載せていて、わが知己の二つの小品のレベルだけから判断しても、この文芸紙の終幕はあまりにも惜しまれる。(03年8/9記=宇尾房子さん、鴻みのるさんともに、すでに他界。)