花火そして長崎のマリア

 8/7(土)夜は、千葉県市川花火大会を見物した.夕方早く市川駅に降り立ち、千葉県警の物々しい警備・誘導で、家族とともに、草原の牛の群れの1頭のように会場の江戸川土手まで何とかたどり着いた.途中民家の庭のエンゼルトランペットが、涼やかに歓迎してくれた.浴衣姿の若者が多い.「不倫てさあ、どこまでのこと、肉体関係ってこと?」などと喋っている若い女の声が、別な通路に行こうとすれ違う浴衣の女たちから聞こえた.
 土手の下の平らなところを確保、すぐシートを敷いた.背中を大きく露出し、缶ビールを一気に飲み干す水商売関係の仕事をしている雰囲気の母と、男の子の後ろの場所.この子の知識には感心した.黒く小さな数個の飛行物体を、浴衣女たちの「鳥が飛んでるわ」との声にも動ぜず、「お母さん、コウモリが飛んでるよ」と正しく認識.酔っぱらったアゲハチョウのような飛び方だから、紛れもなく都会のアブラコウモリたちだ。大きなバッタがその母親の足許の草むらに蠢けばただちに、「ああショウリョウバッタだ」と母を安心させた.さらに、「カナヘビだ、お母さん」と、喧噪と混雑に驚愕している小さな爬虫類の名称についても正確に知っていた.微笑ましく、愉快な気分になったところで、花火が天空で炸裂、轟音に昂揚を感じた.
 終了を待たずに会場を出てJR市川駅から津田沼まで快速に乗ると、何と往路でも乗っていた浴衣姿の男女がまた乗っていた。とくに男の浴衣の着こなしがひどかったので印象に残っていたのだ.帰宅までのあいだ、この偶然を想って少し酔ってしまった.


 本日8/9は、長崎に65年前原爆が投下された日である.昨年12月に、田中千禾夫の『マリアの首』の舞台を観たことが思い起される.だいぶ長い時間を挟んでの2度目の同作品の観劇であった.その折のHPの観劇記を再録しておきたい.

 一昨日(12月)18日(金)は、東京北区豊島シアター・バビロンの流れのほとりにてに出向き、田中千禾夫原作、鹿島将介構成・演出の『マリアの首』を観劇。観客70人ほど収容の狭いスペース。しかし何かを生み出さんとのたしかな想いを感じさせる。
『マリアの首』は、かつて劇団「新人会」公演(演出・田中千禾夫)を観ているし、そのときは忍役の渡辺美佐子が印象的であった。また事前に戯曲作品(三一書房版『現代日本戯曲大系4』所収)も読みなおした。鹿島演出は、それぞれの人物たちのモノローグ化した台詞(の交錯)劇として構成、動きは現実の肉体性を喪い、声は自明に対応しているはずの感情の裏打ちを欠いている。もともとがサルトル風の観念的ことばと、長崎弁との奇妙な混在で展開している戯曲であるが、忍への娼婦たちのリンチ場面などの「毛皮族」的(?)リアリズムを省略した以外は、そのままである(たとえば戯曲の凧を旗という長崎弁など変えていない)。
 忍、鹿、静の3人の女をマリアの側面としてみる見方もあるだろうが、カトリック作家遠藤周作が、「乳の張って困っとる」マリアはただの「おふくろ」であり、「原爆におうて顔はケロイドになった」マリアこそ、ピエタのマリアではなかったか、鹿や忍が求めたマリアではなかったか、と作品中の不均衡を指摘していた。鹿島演出のこの舞台においてもそのあるべき統一されたマリア像が伝わってこない。
 もっとも「廃墟に対する望郷、それが私の奥底にある」と述べるこの演出家にとって、舞台上の被災地としての長崎は、「死の陰の谷」でも「涙の谷」でもない。あくまでも廃墟としての街であって、だからこそ原作者の田中千禾夫が演劇表現とは《祈り》であるとしたことに、「トンデモナイ」と異議を申し立てたのである。最終的には個人的感想になるが、その実験的試みに意表を突かれつつも残念ながら退屈な舞台ではあった。(09年12/20記)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のエンゼルトランペット(Angel's Trumpet)別名木立朝鮮朝顔。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆