「ねずみ男」の魅力

 NHK朝の連ドラ『ゲゲゲの女房』は、毎日面白く視聴。『篤姫』の〈秘書室長〉コンビ、今回は貸本業をいとなむ松坂慶子田中美智子)・佐々木すみ江(キヨ)と村井茂(向井理)・布美枝(松下奈緒)夫妻との交流そして別れの話が、どこかで大河ドラマの虚実皮膜の間で沈殿している記憶を呼び起こし、無自覚の感動を与えてくれる.あたかも神話物語の伝承のように、いくつものエピソードが重層化され、共有される魅力が形成されているのだろうか.『ゼタ(ガロ)』を出版した嵐星社(青林堂)社長の村上弘明も、信念をもった男のいい味を出している.少女漫画家志望の河合はるこを演じているアッキーナ南明奈)は、心配したが違和感はない.少女のひたむきさと焦燥感が出ていて、可愛らしくてよい.
 ねずみ男のモデルとの設定の、浦木克夫役杉浦太陽にもこのところ馴らされてしまった.ドラマの進行も、現実の季節とともに、主人公夫妻の人生の夏を迎えるのであろう.期待したい.
 ところで、このねずみ男について、佐藤優氏があっと驚く人物に喩えている.このところだけ、過去記載の文章をみずから引用しよう.

 元外交官の佐藤優氏とジャーナリスト魚住昭氏の質疑応答をまとめた『ナショナリズムという迷宮』(朝日新聞社)は、目から鱗の洞察が随所に見られ、知的興奮を与えられる書物である。「この、コイン2枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないこと」が「思想」であって、ふだん「思想」とみなしている「護憲運動や反戦運動など」は「対抗思想」なのだという、佐藤氏の最初のジャブにフラつかさせられるが、この書の最後のクロスカウンター、伝統的な関係性からの「個の確立」というこれまでのモデルの実現の帰結こそ「新自由主義」なのであり、それが現代の「思想」なのだとの結語に心地よいノックアウトを食らうのである。
 かつて橋爪大三郎氏が、自然環境をめぐるヨ−ロッパ諸国との交渉で日本の外交官が「stewardship(自然の管理)」という考え方が『聖書』からきていることに無知であったことを嘆いていた(「東工大宗教社会学レジュメ」)が、佐藤氏は、同志社大学神学部出身で、チェコ神学者フロマートカの研究者でもあり、キリスト教およびイスラームについて実に造詣が深い。これまで日本になかったタイプの知識人だろう。
魚住:つまり、イエスがやろうとしたことは、人間がつくったものである「国家」や「貨幣」に、逆に人間が支配されてしまっている状況を「関係性」によって破壊しようとした。それを貫くには磔になって死んだほうが効果的だと判断したということですね。
佐藤:そうです。イエスが関係性を非常に重視したことを、さらに俗っぽくたとえるならば、『ゲゲゲの鬼太郎』のでてくる「ねずみ男」になります。
 モノゴトを相対化してみるバランス感覚をもち、最終的に「関係性=愛」が拠り所であり、帰る場であるという姿勢と立場が共通であるということである。驚いたたとえである。しかし仮にイエスを鬼太郎にたとえる理解では、「性悪説」にたつキリスト教をとらえ損なうのは間違いない。(07年9月)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のベニバナサワギキョウ(紅花沢桔梗=ロベリア・カーディナリス)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆