(抜歯記念ワイン「シャトー・ラモット・ヴァンサン・レゼレヴ・サン・ヴァンサン 2010」&Box Arrangement「ニコライ・バーグマン・フラワーズ&デザイン」)
左下(専門的には右下)の奥歯、8番と7番の歯のグラツキがひどくなり、ついに昨日行きつけの歯科医院で抜歯してもらった。昔同医院で親知らずを抜いてもらった時は、助っ人に招かれた(抜歯の)専門家によってでも夜までかかり、ナチスの拷問もかくやと思わせたが、今回は治療の痛みもそれほどではなく安堵した。経過良好で、本日消毒してもらったところ。1ヶ月後部分入れ歯を装着する段取りである。どんどんアンドロイド化していくその始まりになるのであろうか。というわけで新しい記事を書くのも気が進まず、佐藤優さんの著作についてかつてわがHPで書いたreviewを再録しておこう。
◆今を時めく佐藤優氏の著書を読んでみた。『国家と神とマルクス』(太陽企画出版)。哲学・思想書で得た知識と自分自身の実感と体験とを突き合わせて思索を積み重ねてきた、確かな見識があり、学ぶことが多かった。外交官として国際社会の情報戦のなかで揉まれ、また「鈴木宗男事件」なる事件の「国策捜査」に関連づけられ犯罪人として東京拘置所に収監されるという、これまでの日本知識人には稀有な体験をしている。国家なき社会の無秩序性と国家の孕む暴力性の両方を身体的に知った人物の、そしていっぽうでキリスト教神学の研究者でもある人物の思索と提言である。
日本政治史を貫く権力と権威の分離の体制を保持しなければならないとの主張は、説得力がある。もし共和制を採用すれば、選ばれた首相=大統領は、権力と権威の二つをもつことになり、それは甚だ危険であるとする。北畠親房の『神皇正統記』の「大日本者神國也」の思想を継承すべきことを提言している。「権力の簒奪者=盗人」として非難された足利尊氏は、この書を焚書にしなかった。この書の述べる寛容性の原理が、書物外でも担保されたのだという。
……このような北畠親房の論理を敷衍するならば、唯一、日本で認めることができない言説は、自らの言説が絶対に正しく、他の言説を禁止すべきであるとする非寛容な自己絶対化に凝り固まった言説だけです。そういう他者を原理的に否定する言説以外のものはみんな共存、並存、共栄していくのです。少し乱暴な言い方をすれば、「いい加減に」やっていくのです。これが日本の伝統で、そういう国体観をもっているから日本は生き残ることができるのだと北畠親房は考えます。私も北畠親房の言説に賛成します。この寛容の精神、これこそが、日本を生き残らせるコツです。……
佐藤氏は、神学部出身である。県立浦和高校の倫理社会担当の恩師が、「佐藤君、あなたがほんとうにやりたいことをやればいい。人はほんとうにやりたいことに従事すれば、必ず食べていくことができます」とアドバイスしてくれたことが、進路決定を後押ししてくれたそうだ。「授業では教科書を使わなかった」というこの恩師、いまの都立高校ならおそらく「業績評価」は低いものとなろう。日本では、大学における「神学部」のことなど無知に等しいが、
……ちなみに、ドイツでは総合大学には神学部がないといけないんです。神学部がないと単科大学になるんです。あると総合大学なんです。法学や経済学はもとより哲学も、我々神学徒から見れば「実学」なんです。これに対して神学は「虚学」なんですよ。虚学と実学があってはじめて総合的な学問になるというのが西欧(カトリック・プロテスタント文化圏)の伝統的な発想なんですよ。……(2007年9/23記)
◆『月刊日本』2008年2月号には佐藤優氏が寄稿していて、氏が尊敬する村上正邦氏の国家観を解説している。「国家とは、憲法とは誰のものか。少なくとも、官僚だけのものではありませんし、あってはならないのです」との結びのことばとともに考察を促す文章である。
……魚住氏が言う官僚が支配する国家は、上からの国家です。それに対して村上先生が言う国とは、万邦無比の「邦」であり、社禝(※しゃしょく)なのです。ソクラテスは「最も大事な友人、家族、そして祖国」と言いますが、そこで言われている祖国とは、社禝の意味に近いのです。……
この社禝(社会共同体)としての国家と、官僚機構としての国家とは、あたかもイエス・キリストが神であるとともに人間でもあるというキリスト教神学の考え方で捉えられるように、区別はできても分離はできないと、佐藤氏は考えている。このあたりの議論は、佐藤氏と同じく県立浦和高出身のマルクス主義政治学者滝村隆一氏の国家論ですでに周知のところである。
(2008年2/27記)
- 作者: 佐藤優
- 出版社/メーカー: 太陽企画出版
- 発売日: 2007/04/01
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