チャイコフスキーは東京文化会館大ホールで聴いた

simmel20.hatenablog.com◆昨日13日(土)は、東京二期会オペラ公演、チャイコフスキー作曲『エフゲニー・オネーギン』全3幕を鑑賞。演出がいまヨーロッパで話題のペーター・コンヴィチュニーで、どうしても行きたかった舞台。A席でも、1FのL6列なのでコストパフォーマンスを考慮しても、最高の位置ともいえた。演出上きわめて重要と思われた、読書好きのタチアーナの書籍の山が片付けられずに、舞台下手にずっと置かれたままであったが、その情景の印象が鮮明な座席で、申し分なし。
 東京交響楽団の指揮は、アレクサンドル・アシニモフ。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーに師事したそうで、レニングラード・フィルでも振っているらしい。チャイコフスキーの生演奏を聴くのは、3回目だが、1回目が35年前、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラードフィルハーモニー・アカデミー交響楽団による「交響曲5番」(於東京文化会館ショスタコ6番もあったのだが、眠っていたらしく記憶にない)だった。これは震撼させられた。 
2回目が31年前、同じ『エフゲニー・オネーギン』全3幕で、会場も東京文化会館だ。モスクワ・オペラ公演。演出レフ・ミハイロフ、指揮ドミトリー・キタエンコで、タチアーナはカリーナ・ピサレンコ、オネーギンがオレク・クリョーノフだった。最後にこころの荒野にひとり立ち尽くすオネーギンの姿とアリアが、感動的であった。
 今回の『エフゲニー・オネーギン』は満足のいく舞台であった。1幕2場で歌舞伎の花道のような回廊の舞台にタチアーナが出てきて、そのアリア、オネーギンへの思慕と苦しみを告白するソプラノ(大隅智佳子)は美しく、涙を誘う。オネーギンとの決闘を前にした、レンスキーの絶望のテノール(大槻孝志)も切々として聴かせる。 
今回の幕切れは、オネーギンの絶望のバリトン(与那城敬)と、タチアーナの決意のソプラノの二重唱となっていた。「愛の苦悩」の主題が鮮明に浮き上がった結末であった。「自分の抱えている問題が舞台の上でテーマになれば、自分だけの悩みではないと思える。そのとき、オペラや演劇は、一種の精神的な治療にさえなるでしょう」(「東京新聞」9/5夕刊)と主張するコンヴィチュニーの舞台は、娯楽化の道を歩む昨今のオペラ・演劇と違い、メッセージ性が強い。第1幕での地主と労働者、第3幕での華やかなペテルブルクの貴族と社交界の描き方に、ブレヒトの影響を見ることができるだろう。

 原作のプーシキンはさておき、作曲のチャイコフスキーの人生と重ねあわせて、この作品を味わうのも面白い。「サロメ」「マーラー」などの音楽関係映画も知られるケン・ラッセル監督の「The Music Lovers」(邦題:恋人たちの曲 悲愴)を観れば、オネーギン=チャイコフスキー、田舎娘のタチアーナ=ニーナということになり、このニーナと結婚したことによりチャイコフスキーの人生がメチャメチャになるのだ。第1幕でのタチアーナの愛を、オネーギンが受け入れたところで、二人が幸せになっていたかはわからないのである。(なおこの作品のDVDは出ていない。VHSビデオも国内版は入手不能。USA版も困難か。ニーナを演じたGlenda Jacksonは英国の往年の大女優。若きころのフル・ヌードが観られる貴重な〈お宝〉映画でもある。)(08年9/14記)

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▼本日1/19は、ロシア(旧ソ連)の作曲家エフゲニー・ムラヴィンスキー没後30周年(1988年1月19日没)の命日である。一度だけ来日公演を聴いたことがある。その夜の音は存在しないが、このときの感動体験は忘れられない。その端正なシルエットを思い起こしつつ偲びたい。1973年6/1、東京上野の東京文化会館にて、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、国立レニングラード・フィルハーモニー・アカデミー交響楽団演奏、1:ショスタコーヴィチ作曲「交響曲第5番 ニ短調 作品47」2:チャイコフスキー作曲「交響曲第5番 ホ短調 作品64」。(2018年1/19記)