學びて思はざれば則ち罔し、思ひて學ばざれば則ち殆し。

『独学の思考法』(講談社新書)の著者山野弘樹さんは、上智大学文学部史学科を卒業、現在東京大学大学院博士課程で哲学を研究している。「はじめに」で、『先行きの見えない不安の中で、「新しい生き方」、「新しい働き方」を目指して学習するという姿勢は、ビジネスパーソンをはじめこれからの時代を生きるすべての方々に求められていると言えるでしょう』と述べている。ポンコツ年代のこちらにはあまり「求められて」いない姿勢であろうが、気まぐれに読み進めようか。

 他人の残した足跡だけを追いかけるという思考の様態は、極めて従属的な性格を有しているものです。これは、知識によって思考が支配されている状態であると言えます。こうした状況になってしまっている人の頭を「他人の思想の運動場」(✼『読書について』)と表現したショーペンハウアーの洞察は、まさに慧眼であると言えるでしょう。(pp.36〜37)
 いずれにせよ、先人の足跡を参考にしつつ「自分の足で走る」ことこそが重要なのです。
 なお、ここで私があえて(「歩く」ではなく)「走る」という比喩を大事にしている理由は、「思考力は長い年月をかけて少しずつ訓練されるものである」という信念を私が持っているからです。
「考える」という営みは、想像以上に「知的体力」を必要とします。「考え続ける」という行為は、本当に頭が痛くなるような営みなのです(それはちょうど、走り続けているとすぐに脚が痛くなるのと同じです)。例えば、「相手の話をじっと聞く」ということですら、真剣に行うとけっこう疲れてくると思います。何かを真剣に思考するためには、私たちは必ず日々の訓練を通して「知的体力」を身につけなければならないのです。(pp.38〜39)