歌舞伎『一谷嫩(ふたば)軍記』(並木宗輔作)観劇

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 11/9(火)国立劇場・大劇場にて、『一谷嫩軍記』を観劇した。強い雨の降るなか、地下鉄半蔵門駅から劇場までの歩きは難渋したが何とかたどり着いた。昔地方公演の「熊谷陣屋」はどこかのホールで観たことがあるが、今回は、序幕「御影浜浜辺の場」に始まる二幕の通し狂言。しかも「芝翫型」と呼ばれる、「豪放で古風な」特色をもつ演出の舞台。上演筋書によれば、その原型は、四代目中村芝翫によって確立され、五代目中村歌右衛門に受け継がれ、六代目大谷友右衛門が演じたのが伝承としての「芝翫型」の終焉であったとのこと。七代目に始まり九代目市川團十郎によって深化された「團十郎型」に乗り越えられ「前近代的な古い型として」上演されることが稀となった。1955(昭和30)年に二代目尾上松緑が「芝翫型」の熊谷を演じ、当代中村芝翫がその襲名興行(2016・2017年)の「熊谷陣屋」で演じて以来の今回の「芝翫型」上演の舞台なのである。
芝翫型】

◯熊谷は、黒ビロードの着付に赤地錦の裃、出迎えた妻(相模)を睨み据える形、煙管を持って相模に語りかける仕草、〈物語〉の中での口を開いての見得、飛び上がって藤の方に平伏する様子→豪放で古風、文楽に近い部分もある。
◯敦盛の「首実検」の場で、「團十郎型」では、義経が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と命じた制札を熊谷が逆さにして三段(✼段梯子のこと)に突いて決めるのに対し、「芝翫型」では制札を立てて決める。
◯幕切れで、雲水となった熊谷蓮生坊が幕外の引き込みに登場して花道を去るのが「團十郎型」で熊谷の心境劇として特化された演出であるのに対し、「芝翫型」は熊谷、弥陀六実は弥平兵衛宗清、藤の方、相模の4人の人物が「それぞれ背負った深い意味合いを明瞭に示すことが可能になるだろう」演出で、幕外の引き込みなしで終演である。
 ところどころを台本でたしかめつつ観劇したので展開と台詞を理解していたつもりであったが、義経と熊谷による敦盛救助の裏切りを鎌倉に注進せんと、陣屋を走り抜けた梶原平次景高がそのまま消えて、義経は大丈夫なのかと心配したところ、花道去った揚幕の内で、弥陀六の投げた石鑿の手裏剣で景高は「ワアア」と絶叫し息絶えたのだった。左耳が難聴ぎみなので、この声を聴き逃したらしい。
 僧形の身となった熊谷蓮生坊が「十六年も一昔、夢であったナ」と述懐する件に、この残酷劇(義経の真意を忖度して熊谷直実は、敦盛の身代わりに同年齢の実子小次郎の首を差し出す)をご破算にしてしまう武士(もののふ)の仏教的無常観に驚くのであった。
 なお余談であるが、NHK朝ドラ『おちょやん』で上方演劇界のドン、鶴亀株式会社社長大山鶴蔵役が成駒家(弥陀六)で、NHK大河ドラマ『青天を衝け』で三菱商会設立者岩崎弥太郎役が成駒屋(熊谷次郎直実)であるが、二人がこの舞台に出演しているのが面白かった。
 劇場の外に出ると、雨はあがっていた。充実した観劇の余韻に浸りつつ半蔵門駅まで歩いた。

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f:id:simmel20:20211111181842j:plain(幕間の昼食)

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