十二代目市川團十郎追悼


 
 十二代目市川團十郎丈が亡くなって(2013年2/3)もう1年になる。早いものである。ただ一度舞台を観ただけであり、ここで追悼文などを書く立場にはないが、その著書の言葉を引用して偲びたい。幕末から明治維新の時代に、九代目團十郎によって「歌舞伎の近代化」が企図されたことについて触れている。
……もともと歌舞伎は、椅子に縛りつけられるように座りつづけて見る芸能じゃないんですね。好き勝手に見たいときに見る。つまらなければ見ないで飲み食いする。芝居小屋や芝居茶屋で一日じゅう過ごす。ご贔屓が出てきたら見る…そういう自由な楽しみ方から「芸術鑑賞」へと変わっていきました。
 お話ししましたように芝居の内容も変わってきます。ひと言でいえば「真実を真実として見せる」という方向へ。それがはたして歌舞伎にとってよいものかどうか。ウソがほんとうに見えて、ほんとうがウソに見える…それが歌舞伎の世界観なんですけれどね。
「俳優(わざおぎ)」という言い方があります。じつは『古事記』に出てくる古い言い方なんですよ。それを明治の知識人がふたたび引っ張り出してきたのかもしれません。「俳優」だとどこかアーティストみたいな感覚じゃないですか。なんとなくハイレベル。「役者」というと、すこしランクが下のような気がする。多くの方は、そういう感覚で日本語を使っていると思います。
 はたして、ほんとうはどうなのか。どちらの使い方がよいのか、どちらのスタンスがよいのかと考えることがございます。九代目はおそらく「役者」よりも「俳優」のほうをめざしたのではないか。どこかハイレベルなものをめざしたという意味で「俳優」だったと思います。
 では、歌舞伎とは「俳優」がやるものなのか、それとも「役者」がやるものなのか。
 わたくしは芝居の世界の人間として「役者」でありたいですね。実際に舞台を見ていると、ああ。この人は役者としてやっているんだな、この人は俳優としてやっているんだなというのがなんとなくわかります。決してよい悪いではなくて、です。……(『團十郎の歌舞伎案内』PHP新書:pp.81~82)
 観劇した十二代目の舞台は、「襲名披露四月大歌舞伎」興行(1985年4/16)の「夜の部」で、「絵本太功記」「口上」「助六由縁江戸桜」の3演目。少年時代に観た十一代目の「襲名大興行」(1962年4月)のときも「夜の部」で、「口上」と「助六由縁江戸桜」は重なる。

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130122/1358851204(「浅草の成田屋:『新春浅草歌舞伎』観劇」)

團十郎の歌舞伎案内 (PHP新書 519)

團十郎の歌舞伎案内 (PHP新書 519)