二代目中村扇雀(四代目坂田藤十郎)老衰死

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 四代目坂田藤十郎襲名後の生の舞台を観たことがなく、個人的には最後まで二代目中村扇雀であった。父君の二代目中村鴈治郎の舞台は、むろん何回か観ている。

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  1981年中村扇雀丈結成の近松座の公演では、『曽根崎心中』は観ておらず、高瀬精一郎台本・演出の『心中天の網島』(1986年3月)ほかを、こどもの城・青山劇場にて観ている。

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 当公演パンフレットに、木下順二氏が「近松扇雀」と題して寄稿している。
近松を演じるのに最もふさわしい役者、扇雀、といつの間にか私も自然に思いこんでいたが、古い脚色による近松の何篇かを“家の芸”として代々演じ込んで来たことからそう思い込まされていたとすればそこが危いところで、“家の芸”は大切だとしても、近松座を作った扇雀さんの立つところは、それとは別だろう。
◯高度な技術、ということを何度かいったが、それは例えば、かつて武智鉄二さんが的確に語ったあのこと——近松の頃の人形は一人遣いだから、その間は写実であった。歌舞伎の近松が一般に成功しないのは、今日の文楽の三人遣いの間から派生した技術を用いるからで、その点『曽根崎』のお初においては、「この一人遣いと三人遣いとの中間の間を、……扇雀は巧妙に駆使したのである。」
 つまり、そういうものの複雑微妙な集積を、私は高度な技術というのである。
 そこで繰り返すが、そういう高度な技術と原作に対する深い理解力=役者としての強い創造力、それを縦横に働かせつつ、一つ一つ近松を積み重ねて行く、それが近松座の仕事なのであって、考えれば考えるほど、これは大変な事業なのである。

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