下北沢のビーダーマイヤー氏?

 NHK5/11(木)の『あさイチ』、「JAPA-NAVI・世田谷」の放送で、下北沢の模型ショップ、テラダモケイを紹介していた。紙を使って街や建物そして田園風景などを、100分の1に縮尺して造形する〈未完成品〉プラモデルを販売している。企画は大ヒットし、売れているらしい。店のHPによれば、「模型には本物を模型に置き換えることで、本物のエッセンスや夢がギュッとつまっていて本物よりもステキなものになる可能性があると思う」とあり、たんなる縮尺品として甘んじてもらうのではない〈哲学〉があるようである。
 http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/170511/1.html(「NHKあさイチ:JAPA-NAVI・世田谷」)
 http://www.teradamokei.jp/(「テラダモケイ」)

 佐藤春夫の「美しき町」では、東京の中洲に理想の町を作ろうと、〈資金提供〉の夢想家川崎(テオドル・ブレンタノ)、その友人の画家E(語り手の私)、企画に応募し参加した老建築技師の3人が、ホテルの川崎の部屋で企画と設計に夢中になっている。とくに作業の分担のない川崎は、紙で建物や家並のミニチュアを作りはじめる。テレビの放送は、この場面を思い起こさせた。
……或る晩、私たちがいつもの通りに川崎の部屋に這入って行った時に、いつも我々が仕事にとりかかる前にちょっとお茶を飲む例の大きな円い卓の上には、鋭利に光っている鋏とナイフとが小さいのやら大きいのやら幾つか、物差しと一緒に置かれてあって、その傍には我々が設計した家のうちの四つが、ボオル紙と糊とで大きな板片の上に建てられてあった。その紙の家は高さ二寸ぐらいで、それには設計と全く同じ数だけの窓や入口が唯の手慰みとは思えないほどの克明さで穴を開けられ、それから私が考えて指定したと同じような色彩がその微小な家の外壁を油絵の具で色どっていた。それはまだ乾いていなかった。そうして川崎の眼は物思いに沈んだ人などと似通うたような厳粛ともいうべき真面目さで、じっとその紙の家の上に濺(そそ)がれていた。この晩からは、川崎は我々が仕事に従事している時間の間、それを彼自身の仕事にしてこの紙の家を丹念に拵えては並べているのであった。……(『美しき町・西班牙犬の家他』岩波文庫 pp.49~50 )

『季刊アステイオン』(TBSブリタニカ)1986年創刊号に、文藝評論家川本三郎氏の連載評論『「大正幻影」( 1 )—佐藤春夫のオブジェ愛』が掲載されている。佐藤春夫は、日本のビーダーマイヤーであるとして、人工のオブジェを愛したその世界の一端を論じている。氏によれば、「ビーダーマイヤーという言葉は、詩人のルードヴィヒ・アイヒロットが1869年に発表した詩のなかに出てくる、小市民の典型というべき田舎教師の名前からきている」もので、「この平凡な田舎教師は、たとえ外の世界では戦争が起ろうが革命が起ろうが、自分はそれにあえて目をそらし部屋のなかに閉じこもり、自分の好きな小さな調度や家具にかこまれて暮らしたいというメランコリックな諦念を抱いた反語的存在」であるとしている。(個人的には退屈な小説)「美しき町」が「佐藤春夫のなかでいちばん好きだ」とする川本三郎氏は、この作品世界を考察し、「佐藤春夫はあえて自覚的に、現実よりウソの町を、本当の家よりミニチュアの家を、人間よりも空想を選んでいくのだ」と述べ、
……明治の作家に対して佐藤春夫に新しさがあるとすれば、この、自分の行為がはかない夢想でしかないと知りながらもあえて夢を見ようとする人工的なデカダンスの感覚ではないだろうか。佐藤春夫は、住まいよりもそこに住む人間のほうが重要だという従来の考えに対し、〝ささやき〟の声で、自分はむしろ住まいのほうに興味があるといったのである。家に住まう人間たちの心よりも建物そのものにひかれるといったのである。これは家との格闘をつねに主題にしなければならなかった明治の作家にはなかった新しい感覚だった。……(p.117 )
 テラダモケイの寺田尚樹氏の場合は、建築家として必要な建築模型の添景用プラモデル作りが商品開発の出発にあったとのことで、「あさイチ」での仕上がりの紙模型作品の映像を観る限り、ペット動物を含めた人びとの日常的営みへの愛情が漂っていて、佐藤春夫の「人工的なデカダンスの感覚」とは重ならないだろう。しかしその小さな世界に嵌まり込みすぎ、どこぞの国から核ミサイルが飛んできて、撃墜損ねた一発が東京を灰燼に帰そうとも、もはやどうでもよいと思えてくれば危ういことではある。