吉田五十八(いそや)の近代数寄屋造りが観たい

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 ブログでも取りあげている建築家田野倉徹也氏と、藤森照信氏との共著『五十八(いそや)さんの数寄屋』(鹿島出版会)をパラパラと読む。写真が多い、門外漢にも親しみやすい本かと勘違いして購入してしまった。でも、静岡県御殿場市にある岸信介邸は『吉田建築の晩年の代表作であると同時に、長年にわたり積み上げてきた「数寄屋の近代化」の集大成とも言える』(田野倉徹也)とのことで、ぜひ観たいと思ったものの、御殿場市というのはわが千葉県船橋市からはだいぶ遠いということが分かって意気阻喪した。
 先日市川の尾張屋でうな重を食べながらこのことを話したところ、田野倉さんの高校の後輩にあたる次男(弁護士)は御殿場のアウトレットにショッピングに出向くことがあるようで、東京から高速バスを利用すれば電車で行くほど時間がかからない、今度同行してもいいとのことであった。まずは新型ウイルス感染症の収束を見ないことには実現の可能性があてにできない。
 さらにベストセラー作家であった吉屋信子も、吉田五十八の近代数寄屋造りを好んでいたとのことで、3度も吉田五十八に住宅建設を注文している。

 1936(昭和11)年、牛込区砂土原町に人気作家の吉屋信子(1896〜1973)の自邸を建て、(当時から「日本建築の権威」と呼ばれてはいたが)瞬く間に吉田は話題の建築家となった。吉屋邸は建築雑誌だけにとどまらず、新聞や一般紙に「新興数寄屋住宅」といわれて珍しがられたことはよく知られている。ニス塗りの柱、白ペンキで塗り立てられたサンポーチで飼い犬のシェパードと遊ぶ、当時流行の文化住宅に住んでいた吉屋の注文は、「畳のない数寄屋住宅」だった。生活する空間と著述する空間を分けるだけでなく、部屋と部屋のつながりに重点を置いた住宅は、それまで居間や寝室だけで独立しがちな日本家屋と違って、42歳の吉田の代表作となった。吉屋は三度、吉田に住宅を注文し、終のすみかとなる三番目の住宅が「吉屋信子記念館」として鎌倉市長谷に現存している。1962(昭和37)年、吉屋は終のすみかを建てるにあたり「奈良の尼寺のような家を」と注文した。その頃、吉屋は「少女のような憧れを抱いて」道明寺や法華寺、興福院など畿内の尼寺を巡礼して連載を書いていた。ベストセラー作家として華々しく生きながらも、尼僧美に大きく心を打たれたのだろう。(p.43)

 

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   なお成田山新勝寺の、コンクリート造りの大本堂も吉田五十八の設計と知り、驚いたことである。

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