イプセン『ヘッダ・ガブラー』観劇


 昨日12/1(木)「国際演劇祭・イプセンの現在」の一舞台、東京両国のシアターХ(カイ)でノルウェーのヴィジョンズシアター(Visjoner Teater)による『ヘッダ・ガブラー(Hedda Gabler )』を観た。イプセン劇を観る機会は、シェイクスピア劇に比べると少ないが、個人的には良質で印象深い舞台と出会っている。台詞がシェイクスピア劇のように外(観客)に向って発せられず、登場人物間で内向きに語られるので、その世界に初め入ることが億劫であるが、馴染めば引き込まれてくる展開である。
 演出は、劇団主宰のユーニ・ダール(Juni Dahr)で、ヒロインのヘッダ・ガブラーを演じてもいる。ヘッダ・ガブラーは、大学教授のポストを希望していてもそれが叶わず、書物のみに関心を向け、叔母に異常に懐いているイェルゲン・テスマンの妻であるが、その立場では人生の充実感は得られず、退屈さに辟易していて、ガブラー将軍の娘であるというアイデンティティーを強調する、ヘッダ・ガブラーの題名の呼称となっている。
 舞台装置はシンプルで、役者たちが木屑を花びらのように撒く行為が、劇空間の出現を告げる。著書をすでに上梓し、評価を確実にしつつあるかつて別れた研究者のエイレルトが二人の住居に現われ、ヘッダのピストル自殺という衝撃の結末へのドラマが始まる。エイレルトが紛失した次の著書のための原稿の束を、ヘッダは、拾った夫エイレルトから入手し、これを燃やしてしまう。この原稿作成に、夫の許から家出して同じく二人の住まいを訪れた後輩の同窓生エルブステード夫人が協力していたことも、ヘッダには許せることではなかった。絶望したエイレルトにピストルを渡し、「美しく……」と自殺を教唆し、彼を死に至らしめる。ヘッダに恋心を抱く夫妻の友人ブラック判事は、ヘッダの自殺幇助の罪をそれとなく伝えて、彼女を支配しようとする。イェルゲンは、エイレルトの原稿のメモが残っていることを、エルブステード夫人から教えられ、二人で復元の作業に没頭し始める。ここに至って、ヘッダはみずからの人生の幕引きを決断することになる。
 ほとんど台詞の交錯で展開する静かな舞台であったが、手応えを感じた。セットの木組みが邪魔して、一部日本語字幕が観にくいところがあったのは残念であった。
 終演後わがマフラーがないことに気づき、館内とロビーを探すも見つからず、焦燥。係の女性が探してくれた、感謝。諦めて帰ろうとしたが、再度ロビーを探すと、坐ったソファーの下に落ちていた。舞台の外にも小さなドラマがある。

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