「ドイツ帝国」の支配構造

 フランスの歴史人口学者・家族人類学者エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)の『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書:堀茂樹訳)は、時期が異なる8回(2014年:4回、2013年:1回、2011年:3回)のインタビュー記事をまとめたものである。
 1:「ドイツがヨーロッパを牛耳る」(2014年)に、この本の主張のほとんどのことが語られている。ウクライナ問題をめぐってのロシア脅威論に対しては、西洋は「今日、そのさまざまな部分において不安に駆られ、煩悶し、病んでいる」とし、
……イデオロギーの側面から見ると、ロシア脅威論はまずスケープゴート探しのように、もっといえば、西側で最小限の一体感を保つために必要な敵のでっち上げのように見える。EUはもともと、ソ連に対抗して生まれた。ロシアというライバルなしでは済まないのだ。……(p.21)
「言語と文化とアイデンティティにおいてロシア系である人びとがウクライナ東部で攻撃されており、その攻撃はEUの是認と支持と、そしてすでにおそらくは武器でもって実行されている」とし、「ヨーロッパがドイツであると同時に、ドイツがヨーロッパなのである」から、ウクライナ問題の原因はロシアではなくドイツということになる。
 ドイツは単独でドイツであるとともに、「ドイツに対する経済的依存度がほとんど絶対的といえるほどのレベルにある国々で構成されている」ドイツ圏を形成してヨーロッパ大陸を牛耳っている。フランスはもはや追随するのみで、オランド(仏大統領)は、「ドイツ副首相」でしかない。「ロシア嫌いの衛星国」ポーランドスウェーデンバルト三国は、「ドイツが悪い方向へ走るのを助けかねない力の一部を」成している。ロシアのガスパイプライン「サウス・ストリーム」の建設は、「ドイツが支配しているヨーロッパの大部分のエネルギー供給が、ドイツのコントロールから外れてしまう」結果を招くのであり、
……「サウス・ストリーム」の戦略的な争点はしたがって、単に東と西の間の、ウクライナとロシアの間の争点ではない。それは、ドイツと、ドイツに支配されている南ヨーロッパの間の争点でもある。……(p.52)
「今日のヨーロッパが不平等な諸国家のシステムになりつつある」というのが、トッドの議論の根底にある基本の認識である。
 4:「ユーロを打ち砕くことができる唯一の国、フランス」(2014年)では、ドイツ外相シュタインマイアーがウクライナの首都キエフに、ポーランド首相とともに訪れたことに注目して、ドイツの「新たなパワー外交」の中期的目標を「ウクライナを安い労働力市場として、自らの経済的影響ゾーンに併合すること」と捉えている。「多くの被害をもたらした経済的衰退の年月の後」、「死亡率の傾向が逆転し、経済が安定し、農業が再び伸び始めてきた」ロシアは、「コントロールの利かない好戦的妄想に突然陥るような状態」にはないと読んでいる。その政治体質としての暴力性を無視しないにしても、概してプーチンのロシアに対して肯定的に見ている印象である。ただし自分がもし亡命を余儀なくされることがあったとすれば、ロシアではなくアメリカを亡命先に選ぶと断っている。「ニクイね、トッド」。「ユーロ圏とその破壊的ロジックを打ち砕くことができそうな唯一の国はフランス」なのだが、「自らの失敗の現実を直視し、別の考え方を採用する能力のある政治的エリートは、今日のフランスには」いない、としている。
 5:「オランドよ、さらば!」(2013年)では、ユーロ圏の権力中枢についての図式を述べている。最上位から順に、「ドイツの経営者団体」ー「メルケル、ヨーロッパ保護領(!)管理担当」ー「欧州中央銀行」ー「フランスの諸銀行」ー「経済財務省の会計検査官たちと、ピエール・モスコヴィッチ(経済財務大臣)、広報(!)担当」ー「フランソワ・オランド、(役割は無)」。 つまり真の権力中枢は、メルケルではなくドイツ経済界であるということ。とうぜんピケティの研究成果について触れている。
 7:「富裕層に仕える国家」(2011年)で、述べている。
……この件について、私はトマ・ピケティの学派に敬意を表します。彼らがおこなった世界規模の比較研究が、アメリカとイギリスで「1%」の超富裕層というテーマが浮上することに決定的に寄与したのです。
 システムがどんなに不透明に見えても、あるグループがどのようにして富の大きな部分をコントロールしているかを分析すれば、システムの実態に近づくことができます。
 そうだとすれば、本質的な問題は、市場自体の問題ではありません。寡頭支配層こそが、そして寡頭支配層が国家との間に持っている関係こそが、本当の問題なのです。したがって、この寡頭支配層を特定し、その構造、その生活様式、その構成を分析する必要があるのです。……(p.178)

 8:「ユーロが陥落する日」(2011年)では、家族人類学者らしい考察がある。ドイツについての指摘である。
……あの国は直系家族、これは子供のうちの一人だけを相続者にする権威主義的な家族システムなのですが、直系家族を中心とするひとつの特殊な文化に基づいています。そこに、ドイツの産業上の効率性、ヨーロッパにおける支配的なポジション、同時にメンタルな硬直性が起因しています。……(p.212)
 トッドは、決して革命的な展開を待望しているのではなく、「偉大なデモクラシーはすべからく(?)、エリートの一部分が自らの任務を果たすという契約を受け入れ、ときには民衆の側につくという仕組みに基づいて成立する」としていて、エリートたち(指導的階層)が理性に立ち返ることを期待する、穏健な立場にある。


⦅写真は、東京台東区下町民家のミニヒマワリ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆