10年前の読書:ジジェク「謎の地点」

 10年前の12月のわがHP(閉鎖)の記事(2006年12/6記 )を読み直していると、読んだ本の紹介で、面白い記事があった。スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Zizek)の『人権と国家―世界の本質をめぐる考察』(集英社新書)について。この本は、岡崎玲子さんのインタビュー(訳も同氏)に対する応答と二論文から構成されている。極めて知的刺激に満ちた書で、なるほどそういう考え方もあるのかと、随所で立ち止まることになる。「他の人も周りで生活を送っているが、孤独を味わうことができる」安心感のあるコンドミニアムの一室で暮すことが理想で、「礼儀正しく振る舞いつつも、集まりには顔を出すのが苦手」という、ジジェクの性格に親しみを覚える。
 一般左派の反国家的姿勢については、ジジェクは批判している。
……左派は、国家は抑圧を意味するという反国家的な表現を放棄すべきです。一種の最低限の保護として、我々にとっては国家しかないのです。私は、ヘ−ゲル的な国家の推進者として、国家の復権を唱えます。教育や環境といった分野に関して、市場を信頼することはできません。……
 面白いのは、次のところ。
◆文化には「謎の地点」が重要であって、カトリック教会が賢かったのは、『聖書』が近年までラテン語で書かれたままであったことだとしているのは、卓抜な見解である。
……外国の人類学者がカトリック教を研究するうえで「それでは聖書を分析しよう」と言ったとします。完全に的外れですね。カトリック教徒であるためには、ラテン語として、理解不能なものとして扱わなければならないのです。現地の文化を理解しようと試みる人類学者は、肝心な点を見落としています。その文化が自らをわかっていない様子を把握しなければいけません。ただ単にミステリーを構成しているという側面が重要なのですから。ラテン語のミサを噛み砕くのではなく、一般のカトリック教徒がミサを理解していない具体的な形を見定めること、こちらのほうがよほど困難なのです。……