最期の〈見栄〉


 I am lost without my Boswell.
 この「lost」は、英和辞典『OLEX』(旺文社)によれば、5の意味の「困惑した、途方に暮れた、落ち着かない」だろう。むろんジョン・ワトソンが、ホームズにとっては、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)にとっての伝記作家ボズウェル(Boswell)であったのだ。

 ボズウェルについては、『独身者の思想史』(岩波書店・初版1993年)で、土屋恵一郎氏が、「(※ヒュームのほかに)もう一人、忘れてはならないうつ病患者がいる。『サミュエル・ジョンソン伝』の著者、ジェイムズ・ボズウェルである」とし、
……ヒュームの哲学はこうしたボズウェルのメランコリーをますます悪化させるものであった。なによりも彼の無神論は、メランコリーの最大の治療方法である、「神」と死後の世界への信頼を失わせるものであった。世界も自我もアイデンティティの根拠を失うところでは、「空虚」(void)だけがボズウェルを支配する。
 このメランコリーにボズウェルは終生悩まされた。……(p.40)
 どうこのメランコリーを超えようと試みたのか? 
……二人のスコットランド人は、一八世紀の哲学が生みだしたメランコリーを、ひたすら活動し書くことによって超えていった。そのとき、ヒュームにおいてもボズウェルにおいても、人間と社会は内在的な根拠への結合を求める言説の対象となるのではなく、この根拠の喪失をむしろ自明の前提としたうえで、日常のなかでくりひろげられる活動と感覚の戯れのうちに「第二の現実」を構築する場所として、その言説の対象となったのである。
 ところで、ボズウェルは一七七六年七月七日の日曜日、病篤いヒュームを訪れている。ヒュームはボズウェルに「私はもうすぐ死にます」と淡々と語った。その様子は快活でさえあった。ボズウェルはどうしてもヒュームに聞きたいことがあった。死を前にして、かれが神を信じるかということであった。ボズウェルはそれを聞いた。ヒュームは信じていないとはっきり答えた。深刻な様子はない。冗談さえいった。その平静さが、ボズウェルの「神」への信頼を揺るがせた。ヒュームはボズウェルの訪問から約2ヵ月後の八月二五日に死んだ。ボズウェルはサミュエル・ジョンソンに死の床でのヒュームの快活さと無神論の確信を伝えた。ジョンソンはボズウェルにこういったのだ。
    
    ヒュームの見栄だよ。             ……(pp.41~42)