『暗夜行路』における〈象〉


『志賀文学の核心が、このほとんど強迫観念(障害)にも似た「禁忌(タブー)と侵犯」の相克のドラマにあるとおもえてしかたがない。すなわち「知ってはならぬ」という禁忌と「知りたい」という侵犯の欲望が、ひとりの人間の心のなかで鬩(せめ)ぎあう自己矛盾的、二律背反的実存の物語である』とする、中川三郎氏の「禁忌と侵犯ー志賀直哉の夢と現実ー」(第一章「イヅク川」のみ『置文21』38号誌に既発表)の第五章は、『暗夜行路』前篇第二ー四の讃岐行きの船から謙作が眺めた象頭山(ぞうずさん)のことを取り上げている。『暗夜行路』草稿の言葉を使って、中川三郎氏は、象頭山の象について述べている。
……それでは、ここで作者が語る「本能的な欲望」と「盲目的な意志」とは、果たしてどちらが、象頭山の象なのだろう。結論からいえば、本能的な欲望の権化が、象である。……
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20160309/1457515188(『リアリズムと夢:志賀直哉「イヅク川」:2016年3/9』)

 該当の箇所を、昔読んだ平凡社の「世界名作全集44」を引っ張りだして読んでみる。
◆謙作は一人船尾へ行って、其処のベンチに腰かけた。彼は、象頭山、それから、それに連なる山々を眺めた。彼は今事務長が云った山よりも其前の山がもっと象の頭に似ていると思った。そして彼はそれだけの頭を出して、大地へ埋まっている大きな象が、全身で立ち上がった場合を空想したりした。それから起る人間の騒ぎ、人間が其為に滅ぼし尽くされるか、人間がそれを倒すかという騒ぎ、世界中の軍人、政治家、学者が、智慧をしぼる。大砲、地雷、そういうものは象皮病という位で、其象では皮膚の厚みが一町位ある為に用をなさない。食糧攻めにするには朝めしと昼めしの間が五十年なので如何(どう)する事も出来ない。賢い人間は怒らせなければ悪い事はしないだろうと云う。印度のある宗旨の人々は神だと云う。然し全体の人間は如何(どう)かして殺そうと様々な詭計を弄する。到頭象は怒り出す。……彼は何時か自分が其象になって、人間との戦争で一人亢奮した。
 都会で一つ足踏みをすると一時に五万人がつぶされる。大砲、地雷、毒瓦斯、飛行機、飛行船、そういうあらゆる人智をつくした武器で攻め寄せられる。然し彼が鼻で一つ吹けば飛行機は蚊よりも脆(もろ)く落ち、ツェッペリンは風船玉のように飛んで行って了う。彼が鼻へ吸い込んだ水を吐けば洪水になり、海に一度入って駈上がって来ると、それが大きな津波になる。………◆