国家の威信・モーゲンソーに学ぶ

 モーゲンソー(Hans J. Morgenthau)の『国際政治・(上)』(原涁久監訳・岩波文庫)は、現代の国際政治を展望する上で、門外漢にもわかりやすく有益である。行きつ戻りつ読み進めている。第二部「権力闘争としての国際政治」の第六章「権力闘争–威信政策」のところがとりわけ面白い。
 威信政策とは、国際舞台における権力闘争の、現状維持政策、帝国主義につづく3番目の基本的な発現形態である。威信とは、力を持っているということに対する声価であり、権力の維持や獲得とは対照的に、威信そのものが目的になることはめったにない。威信政策は、現状維持政策や帝国主義政策がその目的を達成しようとするときに用いる手段の一つなのである。
……しかし威信政策は、その遂行がしばしばいかに誇張されようとも、またいかにばかばかしいものであっても、実際には国家関係の本質的要素であることは否定できない。それは、威信への欲求が個人間の関係の本質的要素であるのと同じである。ここでも、国際政治と国内政治とは、同一の社会的事実が別の形態であらわれたものにすぎないことが明らかになる。……(p.191)
 ある国家が現実にもっている力を、またもっていると信じている力、ないしはもっていると他国に信じさせたい力を、他国に印象づけるのが、威信政策の目的であり、その有効な手段が、ひとつは広義の外交儀礼であり、もうひとつは軍事力の誇示である。外交儀礼をめぐる威信政策の歴史的事例として、1945年のポツダム会談の際、チャーチルスターリントルーマンの3人のうち、だれが最初に会議場に入るべきかで意見が一致せず、結局3人が同時に三つの入口から入ることになったことなど、多くの一見滑稽な行動をとり上げている。しかしそこに国家の威信をかけたたたかいがあったのである。
「権力闘争が政治的圧力や軍事力という伝統的な方法によってだけでなく、人間の心をめぐる闘争として展開される時代」において、威信が政治的武器としてとくに重要なものになったのである。
……一国の威信は、歴史における特定の時期の特定の行動が成功したか失敗したかということによって決められるものではない。それとは全く反対に、威信は一国の品格と行動、その成功と失敗、その歴史的名声と願望との総体を反映したものである。この点、一国の威信は銀行の信用に非常によく似ている。……(pp.214~215)

モーゲンソー 国際政治(上)――権力と平和 (岩波文庫)

モーゲンソー 国際政治(上)――権力と平和 (岩波文庫)