篠田英朗『ほんとうの憲法—戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)を読む


 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20161114/1479090482(『「立憲主義」をめぐって:2016年11/14 』)
 篠田英朗東京外国語大学教授の『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)を読んだ。前著『集団的自衛権の思想史』(風行社)に続いて、東大法学部を拠点とする日本の憲法学の日本憲法解釈の特異性と視野の狭隘さを、前文と第9条の読解を中心にして論じている。篠田氏は、1992年にカンボジアで国連PKO文民職員(選挙要員)を務めた経験もあり、本来の専門は国際的な平和構築活動であるとのこと。憲法9条日本国憲法のみが世界で唯一掲げた戦争禁止の規定とする、独善的な立場に縛られていない。国民主権による政府の制限という問題に関しても、日本国憲法の基底にあるとする英米法の考え方から日本憲法学の理解を批判している。宮沢俊義芦部信喜らによって代表される日本憲法学は、戦前の美濃部達吉憲法学の大陸法的考え方を継承しているものだとの指摘と解明には、知的興奮を覚えた。なおどこかで「至上命題」という語を使っていたが、「至上命令」が正しい。注意されたい。
憲法学者のアンケートで多数が違憲と答えると違憲が確立される、といった考え方の背景には、東大法学部系の日本の憲法学の特異性があるということを(※前著で)論じた。「集団的自衛権違憲とは言えないなんて、芦部信喜先生の基本書も読んでいないのだろう」といった姿勢を「知性主義」と呼ぶ奇妙な風潮こそが、私には日本社会の閉塞した現状を物語るような事態だとしか感じられない。( p.12 )
◯国際的に標準とは言えない「立憲主義」の定義を持つからだろうか、日本の憲法学者は、国際法や国際政治の動向を軽視する傾向があるようだ。極端な場合には、国際法や国際政治が間違っており、日本国憲法(に関する憲法学者の基本書)が正しいのだ、といったことを主張している場合すらある。だが実際の日本国憲法は、「国際協調主義」の重要性を強調している。国際社会との協調という憲法典からの要請は、憲法学においてほとんど無視されてしまっているのである。果たして本当にそれでよいのだろうか。( p.15 )
◯いたずらに国民が主権者なので、政府は国民に従わなければならない、といった「絶対国民主権」主義を唱える態度は、「信託」契約の重視を軽視する点で「立憲主義的( constitutional )」なものではない。国民主権論の名のもとに、ひたすら政府を制限しなければならないことだけを唱える日本の憲法学における「立憲主義」は、日本国憲法が前文で謳っているような「立憲主義」とは異なる。( p.29 )
◯「戦争の回避」という目的は、憲法典を固定的に体系化する基準ではなく、むしろ「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の「恵沢の確保」を達成するために重視されるべき政策的方向性だと考えるべきだろう。主権者が「戦争を回避せよ」と命令しているので、その命令に従う、と考えるのではなく、「戦争の回避」が達成されるように憲法典を解釈する、と考えるべきだということである。( p.30 )
◯当初から日本の平和国家化とは、アメリカ合衆国を中心とする周辺諸国を二度と侵略・攻撃しない国になる、という具体的な内容を伴って理解されていた。戦力不保持は、そのための一つの手段であった。侵略行為に使われることがなければ戦力不保持の定義を問題視しないという意識は、むしろ当初から連合諸国側にも存在していた。( p.51 )
◯制憲権力=人民と通常権力=政府のどちらか一方が真の主権者ということではなく、複数の最高権力を機能で分けた上で、意識的に調和させ、作り出したのがロック以来の政治思想史上の「立憲主義」の伝統だ。それこそがイギリス立憲主義の「混合王政」やアメリ立憲主義の「分割主権」などへと発展した思潮だ。今日の国際社会で「国際的な立憲主義」などが語られるときに理解の基盤とされるのは、このアングロ・サクソン流の立憲主義である。( p.64 )
◯ここ(※アメリカ独立宣言)には絶対国民主権論の論理はない。英米法思想では、同意にもとづく「信託」にもとづいて政治が行われるべきことが説かれているが、その根拠は「自明の真理」と宣言される諸個人の権利である。
( p.66 )
◯日本はサンフランシスコ講和条約締結を通じた主権回復と同時に、日米安全保障条約を結んだ。戦後の日本は一日たりとも、在日米軍なくして、独立国であったことはない。そもそも日本国憲法は一日たりとも、在日米軍なくして施行されたことはない。戦後日本の国体にとって、日米安保体制は、憲法と並ぶもう一つの支柱である。( p.90 )
東京大学法学部で憲法学を学ぶ者は、「天皇機関説事件」で不当な排撃を受けた美濃部達吉の弟子だということになっている。実際に弟子であるか、そうでなければ精神的に弟子である。(略)戦後日本の憲法学者たちは、実際の事情が何であれ、一つの修辞的な物語として、プラトンが決してソフィストたちの弟子であってはいけないように、ただ美濃部だけの弟子である。( p.108 )
◯いずれにしても(※押しつけられた憲法改憲すべしとの論に対して、内容面を重視するか、国民による「革命」を主張して「抵抗の憲法学」を説く)重要なのは、「国民」は戦前に抑圧されていたが、戦後に「主権者」となった、という歴史物語を構築することである。日本国憲法は革命の最高の表現であった。「押しつけられた」憲法を嫌うのは、戦前に権力者であった者たちである。したがって改憲は、戦前の権力構造の復活につながる。
 このような「歴史物語」において、憲法学は戦前には抑圧されていたが、戦後には主権者とともに権力者に「抵抗」するものとして登場することになる。( pp.110~111 )
◯戦前の日本の国体の「顕教」=「表」の論理が、天皇神権主義であるとして、天皇機関説は「密教」=「裏」の論理であった。しかし両者は密接不可分に結びついていた。「表」は「裏」が表面化して支配的にならないように弾圧を加えるかもしれない。他方、「裏」は「表」を「根本的な建前」の指針として参照するかもしれない。二重構造であるということは、常に必ず矛盾しているということにを意味しない。
 それでは戦後の日本の国体はどうだろうか。「顕教」=「表」の論理が、国民主権主義/9条平和主義であるとして、日米安保体制は「密教」=「裏」の論理である。しかし両者は密接不可分に結びついている。( p.134 )
◯宮沢(※俊義)は、「押しつけ」の事情を知りながら、「新憲法」を受け入れた。主権者の交代という変更はあったが、主権者を国家の一機関とする国体の仕組みに変更があったわけではない、と言うかのような態度で、新しい憲法を受け入れた。そのために新たな独自の「八月革命」という「神話」まで導入した。「押しつけ」の否定は、「神話」の上に成り立つものだった。
( p.139 )
国連憲章で合法なのは、自衛戦争ではなく、自衛権の行使だ。「戦争」は国際法では法律用語ではない。存在していない法律用語を憲法9条が使って禁止を宣言しているので、憲法9条のほうがより包括的で優れていると主張するのは、独善的な理論であると言わざるを得ない。
 さらに指摘すれば、「交戦権」などという概念は、国際法で使用されている概念ではない。そのような国際法上に存在していない概念をあえて声高に否定してみせることによって憲法のほうが包括的になると主張するのは、馬鹿げた発想である。「交戦権の否認」は、旧時代の概念を振りかざして戦争を正当化しようとする大日本帝国時代の悪弊を禁止するための条項であり、国際法に追いつくための条項で、国際法を追い抜くための条項ではない。( p.148 )
◯国家権力に対する「抵抗」こそが戦後日本の憲法学のアイデンティティの源泉なので、抵抗する対象には神秘的なまでに権力的であってほしいという秘かな願望があるのだろう。「統治権」という謎の概念は、他のいかなる概念にも優って、抵抗する相手方の神秘性を高めてくれる。「統治権」がなくなってしまったら、いったい憲法学は何に対して「抵抗」すればいいのか。( p.204 )
◯日本では東大法学部の樋口陽一芦部信喜によって、フランス革命思想の研究を基盤に日本国憲法の「国民主権」を理解する伝統が根強い。戦前にドイツ国法学で論じていなかった新概念は、フランス革命を参照して解釈するわけである。そこで依然として欠落するのが、アメリカにおける「people」の伝統の理解である。(p.216 ) 
 http://agora-web.jp/archives/2027249.html(「アゴラ:篠田英朗『内閣支持率の低下は、改憲案への逆風か、改憲案が作った風か』」)
 http://agora-web.jp/archives/2027289.html(「アゴラ:篠田英朗『木村草太教授の「将棋」としての「抵抗の憲法学」』」)
 http://agora-web.jp/archives/2027816.html(「東大法学部系の憲法学者は、ルサンチマンとなる対象のエリート集団か?」)