『ハンナ・アーレント「革命について」入門講義』(作品社)読了


 仲正昌樹金沢大学教授の『ハンナ・アーレント「革命について」入門講義』(作品社)、昨日やっと読了。アーレントの用語の吟味を中心として行きつ戻りつ読み進めるので、読了に時間がかかった。p.317に本書の要約的な解説文がある。
……今まで見てきたように、アーレントは、革命の成功の基準は「自由の構成」だと考えています。市民たちが自由に活動できる公的領域を構成したうえで、権力から区別される権威の審級を作り出し、権力の暴走を抑止して、公的領域を守っていくことがカギになります。それに唯一成功したのが、革命の前から、住民の相互約束によって自治の仕組みを作り上げてきたアメリカだということです。ただ第六章のタイトル(※「革命的伝統とその失われた宝」)から分かるように、アーレントは、アメリカ革命の遺産が現代のヨーロッパやアメリカの政治において十分に生かされているとは思っていないようです。……
 アーレントには、権力と権威の源泉について深く掘り下げた思索があるとのことである。このあたりの議論は、立憲主義をめぐる昨今の論議と交叉するところだろう。
……

 アメリカ革命が特殊な幸運に恵まれていたことは否定できない。この革命は、大衆的貧困状態をまったく知らない国で起き、自治の広い経験をもっていた人びとのあいだで起ったものである。たしかに少なからず幸運だったのは、革命が「制限君主制」との闘争から生まれたということであった。植民地が絶縁した(イングランドの)王と議会の統治には、法を免除された絶対権力はなかった。このために、アメリカの政治的構成体を形づくった人びとは、法の新しい源泉を樹立し、新しい権力のシステムを考案しなければならないことは知っていたけれども、法と権力を同一の根源から引き出そうとはけっしてしなかった。彼らにとって、権力の所在場所は人民であったが、法の源泉はアメリ憲法、すなわち書かれた文書であり、耐久力のある客観的な物であった。

(略)
「法を免除された絶対権力potestas legibus soluta 」という言い方に注意して下さい。ボダンによる国家主権の定義です。「絶対absolute 」という言葉の語源に関係しています。〈absolute〉の語源であるラテン語の〈absolutus〉は、「分離されている」という意味の〈ab〉と、〈solution〉とか〈solve〉の語源である〈solutus〉から合成されています。つまり、「解き放たれている」ということです。ボダンの定義によれば、「主権」とは、法から解き放たれた権力ということです。
 立憲主義とは何かという時、憲法によって民主主義(=人民の多数意見による政治)を守ることだと単純に考える人が多いですが、アーレントの議論に即して考えると、むしろ、人民の権力の恣意的な行使を、憲法によって制約することに主眼があることになります。「法」は行政や議会の権力からだけでなく、人民の権力からも解き放たれた「権威」である必要があるわけです。……( pp.224〜226

 買いものの途中津田沼パルコ内書店に寄って、平積みに置かれてあった、仲正昌樹金沢大学教授の『〈戦後思想〉入門講義・丸山眞男吉本隆明』(作品社)を買った。帰宅してさっそく前書きを読むと、丸山眞男吉本隆明らは「詳細なテクスト読解を通して、きめの細かい理論を構築しようと苦心していた」ことを感じるのに比べ、「現在では注目を浴びる売れっ子であるほど、どんな読者、視聴者にも理解できる優しい言葉で語ることが要求される。現政権や財界、サヨク・ウヨクに対する〝鋭い批判〟だと、何の前提知識もない〝庶民〟にも瞬間的に理解できるような文章を書くことが前提になっている」と嘆いている。
……〝庶民の心に届く〟ことを過剰に意識すべきではない。〝庶民の心に届く〟ことだけを考えて〝情報発信〟するのは、頭の悪い煽動家か、はたまたタダの商売人である。……( p.3 )
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20171008/1507463272(「文人ルサンチマン:2017年10/8 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20140713/1405217759(「制度論的保守主義とは:2014年7/13 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20161114/1479090482(『「立憲主義」をめぐって:2016年11/14 』)
 戦後日本の立憲主義の理解への疑問~水島朝穂教授の私への攻撃を見て~ : 「平和構築」を専門にする国際政治学者