グミ(茱萸)で眼をさした伝説

(わが家の庭で実ったビックリグミ=大王グミ)
 柳田国男の「片目の魚」(『日本の伝説』所収・新潮文庫)は、神社の池に片目の魚がいる言い伝えを日本各地から採集している。お供え用に供される魚を、目印として片方の眼をくり抜いたのであろうか。
……昔の言葉では、こうして久しい間、神に供えた魚などを活かして置くことを、いけにえといっておりました。神様がますますあわれみ深く、また魚味をお好みにならぬようになって、いつ迄も片目の魚がお社の池の中に、泳ぎ遊んでいることになったのでありますが、魚を片目にする儀式だけは、もっと後までも行われていたのではなかろうかと思います。……(p.84)
 あるいは、戦(後三年の役)で敵の征矢(そや)に片方の眼を射抜かれた鎌倉権五郎のような武将が眼を洗った池では、その後片目の魚ばかり棲息しているといった類の伝説も、広く伝播しているようである。
 さらに、氏神様やご先祖様などがある植物でたまたま目をさしてしまい、その土地ではその植物を栽培しなくなっているとの伝説も紹介されている。美濃の太田:氏神様—薄の葉(→粽を作らない)、信州小県(ちいさがた)郡当郷村:鎮守様—胡麻の茎、信州松本市附近:氏神様—栗のいが(→栗の木を植えない)、信州島立村:神様—松の葉(→正月に松を立てない)、伯耆の印賀村:氏神様—竹、近江の笠縫:天神様—麻など。その一つに、ぐみの木を植えない伝説を挙げているのである。
……小谷(おたり)四箇荘にも、胡麻を作らぬという部落は多い。氏神が目をお突きになったといい、または強いて栽培する者は眼を病んで、突いたように痛むともいいました。中土の奉納という村では長芋を作らず、またぐみの木を植えません。それは村の草分けの家の先祖が、芋の蔓につまずいて、ぐみで眼をさしたことがあるからだといっております。……(pp.90~91)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20150322/1427014691(「花も実もある:2015年3/22」)

日本の伝説 (新潮文庫)

日本の伝説 (新潮文庫)



⦅写真は、東京台東区下町民家の紫陽花(下は、七段花)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆