@amneris84 僕の立ち位置は、長年敬意をもって知る同じ作曲の仲間として、彼のとった行動と発言を詳細に検討・確認したうえで、被害者でもある新垣君を擁護するというものです。冒頭にその意も明記しています。出たらリンクを貼るようにしますね。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2014, 2月 8
もう3000人以上が署名。教え子や音楽仲間からは信頼されていることは、コメント欄からよく分かる。 →桐朋学園大学: 新垣先生の処分取消要請 http://t.co/fpq9zU6OX6 …
— Shoko Egawa (@amneris84) 2014, 2月 8
本日2/7(金)「東京新聞」の「こちら特報部」の記事「ゴースト、あちこちに」は、同紙面としてはめずらしく読める内容で参考になった。芸術は「“感動”がすべて!」と思ってる、文化的に低熟度な人が多いのは万国共通だけど、日本の場合は、それに自称知識人のほとんどが加わってるように見えるぐらい批判の声が聞こえて来ない。感動至上主義が恥ずかしいと思われるような文化に欠けてるのだろう。
— ららら らー (@LaLaLanLanLan) 2014, 2月 7
あるとき、主イエスが広場を通りかかると、群衆が佐村河内氏に石を投げていた。 主イエスは言われた。「この中で自分が人の曲をパクったことがない作曲家だけが石を投げなさい」 それを聞いた群衆は、石を投げるのをやめたが、ただ一人秋元康氏だけが「俺は作詞家だ」と自信満々に石を投げ続けた。
— EURO SELLER@今年はユーロ買い (@euroseller) 2014, 2月 7
結局多くの「現代音楽」作曲家が、こういうのを書けば世にうけるというのと、こんなものを書いたら恥かしいとの間をうまく飛び越えられないでいる。特異な条件でそれが架橋された一ケース。その辺の溝は、美術、文学、学術研究でも似たような状況で、市場の良質の媒介者が日本では決定的に欠けている。
— Osamu Tomori (@orpheonesque) 2014, 2月 7
作曲すると称して、楽器も何もない暗い部屋に入って座禅を組むようなポーズ、ここに音楽が降りてきて、耳鳴りに抗して聞き分け一挙に書く云々。少なくとも書くんだったら僕は5線紙を横においときますよ、すく書かないと忘れちゃう。メモ、下書き、浄書といったプロセスなしにああいう譜面になりません
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2014, 2月 6
たぶん多くの人は軽く考えていると思うけれどオリンピックは放送化権料その他巨大ビジネスで、そこで著作権の生きたコンテンツを使うというのは単体でも小さくないビジネス。さらに各種再放送、記録DVなどすべてに権利料が発生するし、五輪で使われたというブランドも付与されます。洒落じゃ済まない
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2014, 2月 6
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51886904.html#more(「NHKは本当にだまされたのか」)⦅わが所蔵のペンデレツキー(PENDERECKI)のLP=「聖ルカ伝による主イエス・キリストの受難と死」(COLUMBIA)とCD=「Dies Irae」⦆