マーロウの『EdwardⅡ』観劇


 昨日10/23(水)は、東京新国立劇場小劇場にて、クリストファー・マーロー(Chiristopher Marlowe)作(翻訳:河合祥一郎)、森新太郎演出の『エドワード二世(EdwardⅡ)』を観劇した。シェイクスピアと同時代の劇作家と名のみ知っていて、その舞台を観るのは今回がはじめてである。そのことじたいが、わが悦びであった。
 河合祥一郎氏翻訳の戯曲は、これを収録している『悲劇喜劇』10月号を会場売店で購入した。

 はじめは、エドワード二世がフランス人騎士ギャヴィストンを江戸時代武士の若道(じゃくどう)のように寵愛する、そのパフォーマンスのあまりの莫迦ぶりに、ドタバタ劇かとあやうく勘違いしそうであった。日本の時代劇であれば、殿ご乱心で座敷牢にでも幽閉して一件落着といった展開となろう。エドワード王と弟のケント伯爵エドマンドの二人だけが、能年玲奈さん好みの長い髭を生やしている。頭に戴く王冠とともに王家の血の聖性を象徴したものであろう。老モーティマーの甥であるモーティマーを中心として貴族たちが反発し、ギャビストンを惨殺するが、エドワード王は今度はスペンサーという男を寵愛し、戦争で勝利し反乱貴族の多くを処刑してしまう。モーティマーは密かに、フランス王の娘王妃イザベラと相思相愛の関係となっていて、フランスに難を逃れた王妃と合流し、ついに再びの戦争で王側を撃破し、エドワードから王冠を剥奪して、その子をエドワード三世として即位させ、自分は摂政となって王国に君臨支配する。邪魔な弟のエドマンドも処刑し、王妃の意志をたしかめ、前王エドワードも幽閉先の地下牢に放った殺し屋に極めて残忍な殺し方で殺させてしまう。ところが前王殺害の事実を知ったエドワード三世と側近によって、モーティマーは断頭台に送られ、母の王妃もロンドン塔幽閉とされる。届けられたモーティマーの首に剣を突き刺して、エドワード三世が「愛しい父上、殺されたあなたの魂に/この邪悪な謀叛人の首を捧げます。/そしてわが目から零れ落ちるこの涙こそ/わが悲しみと清らかさの証しです」と言って、幕引きとなる。
 浄化の言葉と聞こえるが、王妃と密通し権力への野心をもって生きた「邪悪な謀反人」モーティマーもたんなる悪人ではない。連行されるときにみずからの運命を受容し「さらば、美しい妃よ。モーティマーのために泣いてくれますな。/この世を嘲笑い、旅人として、/まだ誰も知らぬ黄泉の国を見つけに行くのですから」と語り、「大航海時代の冒険家のそれ」(公演パンフレット:高田康成東京大学教授)のような心意気をもっていたらしいのである。

 台本戯曲を翻訳している河合祥一郎東京大学教授は、公演パンフレットで、「マーロウの描く主人公は結局運命に見放され、果てしない欲望に身を任せたつけを払わされる」とし、
……死は悲惨であり、死後の世界は恐ろしい。だが、だからこそ、命ある限り、強く激しく生き抜かなければならない—それが『エドワード二世』を貫くマーロウの哲学なのだ。……(パンフレットp.11)
 解毒剤のような解説はあまり読むべきではないだろうが、面白い考察を発見。。マーロウ劇における金銭の力と身分制の問題を論じている論考である。
 http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/10608/1/AN000044720400007.pdf(坂本つや子『Christopher Marlowe の戯曲に頻出する「 金銭」について考える』)
 この論考で坂本つや子氏は、『EdwardtheSecondは, 「金銭」の力が身分階梯を流動化する様子を克明に描いた作品である』としている。なるほど、王冠の聖性は金銭の力によって保証されていて、戦争での勝敗を決する軍事力も使える金銭の量次第といった展開であった。第一幕四場で、ギャヴィストンをアイルランドに追放しようと決めた貴族たちにモーティマーが、「皆さんはご存じありませんか、ギャヴィストンには、大量の黄金があり、アイルランドで挙兵しようと思えば、我らがかなわないほどの大軍を徴集できるということを?」と言って、追放を止めさせようとする。
……Know you not Gaveston hath store of gold, /Which may in Ireland purchase him such friends /Ashe will front the mightiest of us all?……
 大軍でさえ「purchase(※the action or process of buying something)」の対象であるということなのだ。その他たしかに、金銭の力が身分制の秩序を脅かしつつある時代状況を想像させる台詞もしくは場面が多い印象である。三方を壁とし出入口を正面一つに限定した、シンプルな舞台装置での芝居の展開も飽きさせず面白かったが、観終わってからの諸氏の考察を読むのもとびきり愉しい作品ではある。
 なお帰路駅構内の「KIHACHI売店でシュークリームを買った。ふだんは高価で敬遠するが、観劇のときのささやかな贅沢である。甘味は抑えてあって味わいは深い。