東北憧憬について

  
 かつて亡き大森光章氏から『シャクシャイン戦記』(新人物往来社)贈っていただきながら、いずれ感想などを書こうかと思っているうちに時間が過ぎ、こちらが未読のまま作家は泉下の客となってしまった。北の大地におけるシャクシャイン率いるアイヌ・シベチャリの寛文9(1669)年の蜂起を題材とした、長篇小説である。北海道出身の作家として背中を押されたのかも知れなかった。


 1999年発行の『俳句散歩・風わたる』(角川書店)に「背鏡で帯むすびゐる原爆忌」の自作句を載せている中津攸子さんから近著『東北は国のまほろば・日高見国の面影』(時事通信社)の恵贈にあずかった。帯に「梅原猛氏推薦」とあり、「はじめに」も「私が師と仰ぐ梅原猛先生の説かれる出雲の国の歴史」などと述べているところからも、この書が学術的であるよりも文学的な問題提起もしくは挑発の書であることが読みとれよう。「はじめに」で「日高見国とは、東北を中心に有史以前から存在していた独立的な国」と地域的に限定しているのも、迷いのない前提である。おそらく古代史に関しては推論の根拠となる史料に乏しく、考古学的な資料と付き合わせてもたしかな事実と断定的に捉えられる場合が少ないだろう。その分ロマンの出番もあるのだろうか。門外漢にはわかりかねることである。
 http://www.epic-co.net/06/interview/int_2013_8.html(「月刊いちかわインタビュー:中津攸子さん」)
 このインタビューでの応答を読めば、この本の執筆動機の一端も読みとれようか。
吉清 東北で栄えた縄文人のDNAは東北の多くの傑物達、棟方志功宮沢賢治斉藤茂吉太宰治寺山修司井上ひさしなどの文人、芸術家達に、脈々と受け継がれています。
中津 その文化人の誰もが持っていた深い人間愛や哲理は古くから伝えられた東北の血脈ではないでしょうか。日高見国は征夷大将軍が来るたびに必ず追い返しているんですが、しかし国境までしか追い返さない。決して大和朝廷の地域には攻め込んでいないんです。絶対と言っていいほどの平和尊重のあり方です。
吉清 その記憶と文化のDNAは大震災の被害を受けながらもしなやかな力で復興にむかって努力している東北の人々に、今も見ることができるんですね。
 しかし「縄文人のDNA」とか「東北の血脈」などの言葉も、あくまでも比喩的に使ってほしいものである。
 感動したのは、梅の花をめぐるエピソードの記述である。ただし性急な断定には辟易するが。
……安倍貞任の弟、宗任が前九年の役で敗れ、捕らえられて都へ連行された時、都人は陸奥に住む宗任が知っているはずがないと梅の枝を見せ、花の名を聞きました。もし宗任が知らなかったらその無知を笑ってやろうとの気持ちもあったことでしょう。ところが宗任は、
 わが国の梅の花とは見つれども
 大宮人の何といふらん
と即座に歌を詠んだのです。
 万葉集で花といえば梅です。梅は前九年のあった十一世紀の中ば(※半ば)でも都では珍しい花でした。都では珍しい梅の花が、日高見国各地では大勢の人々に愛され詠まれていたことが分かります。この話から、歌は日高見国の人々が日常的に口ずさんでいた文化であり、梅は日高見語であることが分かります。……(同書p.110)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のコリウスの葉と花穂(かすい)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆