北海道のクワガタ

  津軽海峡渡る鋭い蝶を怖れ  西川徹郎『無灯艦隊』(沖積舍)
 佐藤泰志の『海炭市叙景』(小学館文庫)の群像劇の舞台、「海炭市」はむろん虚構の都市であるが、彼の故郷北海道函館あるいはその周辺の町の地誌的記憶が基底にあることはたしかであろう。「黒い森」の49歳の主人公は、マンション購入資金のためと居酒屋に勤めに出た、9歳年下の妻の春代が土曜日になると外泊して帰ってこなくなっていた。間違いなく男ができているのだろう。主人公は、数年前には、夜近くの林に小学生の息子とクワガタを採りに入ったことを思い出す。ときには春代もついてきた。
……そこでは、何年も枯葉の下に埋もれていた湿った土の、古い水やカビのような匂いが不意にたちのぼる。それらが、成長し続ける木の張りつめた気配や人気のない夜気と、混りあって拡散する。いつ行っても、夜気だけは、その場所にしかないしのびよるような密度で身体を包み込む。樹液の滲んでいる所や、樹皮のはがれた所には、たいがい、コクワガタがいた。親指ほどの小さなクワガタで、それも一匹のメスがいれば、その近くにはほとんどの場合オスもいるのだ。二時間ほどで、五、六匹、つかまえることもあった。息子はそのたびに喜びの声をあげ、腐葉土と枯葉を入れたプラスチックの虫籠に、つかまえたコクワガタを押し込むのだ。たまには春代も見つけ、無邪気に声を張りあげる時もあった。……(同書pp.241〜242)
 この林もどんどん伐採されて、次々にマンションが建てられるに至る。全国どの地方都市でも起きたことではないか。わが船橋市のNの森も同じ運命をたどっている。かつてはコクワが採れたこの林もほとんど伐採されて、マンションが建設されている。

 昔千葉県四街道市の郊外にクワガタの飼育センターを設置した濱田和一さんのところを、次男とともに訪問したことがある。近くに大きな榎の木があり、タマムシが飛んでいたのが印象的であった。この榎の朽ち木でクワガタの幼虫を飼育していたのであった。そこではじめてオキナワヒラタクワガタを見せてもらった。クワガタの独特の飼育法を研究して、著書もあり購入した。濱田和一さんは、すでに幽明境を異にしているが、北海道の地へも足を運んでいたらしい。カブトムシがその飼育所からかの大地へ拡散したとの伝説すらあるようである。
 わが隣町にある「習クワ」オーナー木村修平さんもこの濱田和一さんからクワガタ飼育に関して、多くの知識を授かったとのことである。
 http://www.narakuwa.com/(「習クワ」)
(わが所蔵の水沼哲郎・永井信二著『世界のクワガタムシ大図鑑』(むし社)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家に飛んできたアゲハ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆