熊野を想う

 台風により、熊野古道の参詣道が寸断され、熊野那智大社の本殿の一部が土砂で埋まってしまったそうである。南紀を中心に、この台風の被害は甚大であるようだ。「被災された方々に、お見舞い申し上げます。」
 
 熊野の地を訪れたのは一度だけであるが、深い印象が刻まれている。その折(2007年4月)の旅行記mixiに記載しているので、再録し、あらためて遠い熊野の地に思いを馳せたい。
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(写真1は熊野古道、2は那智大社の楠、3は白浜の「南方熊楠記念館」にて、4は横浜ボートシアター『小栗判官・照手姫』公演パンフレット、5は、遠藤啄郎編・岡本央写真『横浜ボートシアターの世界』より「「小栗再生」)
◆4/3(火)〜4/5(木)南紀を旅してきた。飛行機で東京羽田から白浜まで1時間ちょっとで行けるので、わりあいゆったりした行程を楽しめる。白浜にある「南方熊楠記念館」を訪れた。顕微鏡で粘菌が覗けた。「ウガ」とよばれる尾にエボシ貝が寄生した海蛇(セグロウミヘビ)の標本は、熊楠がとりわけ気に入っていたらしいが、実に面白かった。「ハドリアヌス茸」とかいうキノコの標本も愉快であった。まるで折口信夫の祖父の家だった飛鳥坐神社のご神体を思わせる形をしている。近くの田辺市には、「南方熊楠顕彰館」があるのだが、脚を伸ばせなかった。
 http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/ (「記念館」)
 http://www.minakata.org/ (「顕彰館」)
 熊野古道は、お決まりの大門坂から那智大社青岸渡寺までのわずかの距離を歩いたのみだが、十分満喫できた。毎年7月14日に催されるという「那智の火祭」は、柳町光男監督・北大路欣也太地喜和子主演の映画『火まつり』でその勇壮さは想像がつく。たしか当時フランスで、太地喜和子のラブシーンについて「あれはガチンコか」と信じられたらしい。
 http://www.kumanonachitaisha.or.jp/ (「那智の火祭」)
 紀伊勝浦の宿泊先の部屋からは、井上靖補陀落渡海記』の金光坊が渡海したという那智湾が眺められた。海はやや緑がかかった青色をし、空にはトンビが飛び、ウミウが潜っていたりで、穏やかで美しかった。61歳になって当然のごとく「渡海」を迫られ、海底に消えた金光坊を主人公にしたこの小説を、団塊の世代は読むべし。いまならさしづめ「地域ボランティア」といったところか。
 熊野といえば、小栗判官の再生の物語を思い起こす。中世説教節をもとにした、横浜ボートシアターの遠藤啄郎演出『小栗判官・照手姫』は印象的な仮面劇であった。謀により毒を飲まされていざり車の餓鬼となった小栗判官が、熊野の湯で蘇生し復讐を果たして妻の照手姫と再会を遂げるという物語だ。音楽と併せてアジアの熱気とパワーを感じた舞台であった。遊行寺の公演を見たかったが、江東区佐賀町・エキジビットでの公演も、旧倉庫の建物を使い雰囲気があった。(2007年4/8記)
⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町民家のコムラサキ(小紫)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆