「ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団」

 今年になって「日本文化財団」からの公演案内のチラシが送られてこないので、いよいよこちらの懐具合がお見通しになったのかと〈諦念〉していたところ、この3月に活動休止・解散していたことを、不覚にもいまごろ知った次第。「日本文化財団」招聘による欧米の一流の舞台を観てきたので、寂しいことである。
 こちらが観てきた、同財団招聘のダンス・演劇など整理して記録しておきたい。今回は、「ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団(Pina Bausch Tanztheater Wuppertal)」の公演。4回ほど観ている。1)1986年9月:国立劇場大劇場:「コンタクトホーフ(ふれあいの館)」、2)1993年4月:新宿文化センター大ホール:「1980年ーピナ・バウシュの世界」、3)2002年5月:新宿文化センター大ホール:「緑の大地」、4)2003年11月:新宿文化センター大ホール:「過去と現在と未来の子どもたちのために」。ピナ・バウシュは、2009年6/30に鬼籍の人となっている。




 文藝・舞踊評論家三浦雅士さんなどの水先案内で、けっこうはまっていたかもしれない。2003年11月の舞台についてのかつてのHP記事を再録しておこう。
◆昨晩(11/14)は、新宿文化センター大ホールで、「ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団」の公演『過去と現在と未来の子どもたちのために』を観た。いつもとは異なって、白と黒を基調としたシンプルな舞台装置で、しかしこの世界と人生の多彩さを暗示した感動的なドラマが演じられた。後に毎年春の新作発表の舞台を観るためにドイツのヴッパタールを訪れるというほど「ピナ・バウシュ」の〈追っかけ〉になったそうな楠田枝里子さんは、はじめてピナ・バウシュの作品を観たときの感想として、
「ピナの作品の前では、誰も、客観的に鑑賞していることなど許されないのだろう。いつのまにか、自らも身を投じざるをえないところに、連れていかれてしまう。逃れることのできない場所で、襲いかかる嵐に揉みくちゃになって、懸命に持ちこたえるか、でなければ殴り倒されるほかなかった。」と記している。(楠田枝里子ピナ・バウシュ中毒』河出書房新社
 前半子どもの遊びのたあいなさと軽みが表現されていたためか、幕間休憩聞えてきた教授と女子学生らしい会話に「昔は、もっと凄かったそうですが」「うん、舞台を走ったり、音楽そのものも凄かったな」とあったが、いや、これも後半のエネルギッシュなダンスの興奮の前菜であったのだ。すべてが終わって、スタンデング・オベイーションの多かった客席で、とても切ない感動に捉えられた。楠田枝里子さんが、ヴッパタールをはじめて訪れたとき、かつて舞踊団に在籍していたダンサーが語ったという言葉の通りなのであろう。
「ぼくたちのパフォーマンスを、頭で解釈しようとして見ていれば、すぐに限界にぶちあたってしまう。何が起こっているのか、頭で理解する必要はないんだよ。感じたものを、ありのままに、素直に受け入れるべきなんだ」(同書)   
 なお本公演の初日ということもあって、ロビーで楠田枝里子さんその人を見かけた。帯に浅田彰氏が「これは楠田枝里子だけが書くことのできる、限りない愛の手紙だ」と推薦している、サイン本が入手できたのは幸運であった。(2003年11/15記)
  http://www.erikokusuta.com/pina.html楠田枝里子さんのHP)

ピナ・バウシュ中毒

ピナ・バウシュ中毒