三浦雅士氏講演「ベジャール/テラヤマ/ピナ・バウシュ」を聴く



 11/17(土)は、神奈川近代文学館2Fホールで「寺山修司展」の記念講演「ベジャール/テラヤマ/ピナ・バウシュ」を聴いて来た。午後2時から開催なので、油断して午前中東京競馬場11R「東京スポーツ杯2歳ステークス」の馬券検討で時間を潰しすぎ、大急ぎで逗子行の快速グリーン車に乗って横浜に向かった。順調に乗り換え、みなとみらい線元町・中華街駅で下車したものの、トートバッグにピナ・バウシュの過去の公演プログラムを4冊も詰め込んで重く、膝関節症の足取りで進むのが遅い。会場に到達した時はすでに満員、予約チケット完売であったから最後列に坐る仕儀となった。左耳が老人性難聴なので心配したところ、慌てたように登壇して身ぶり手ぶり忙しく交えて話す、三浦氏の声が一貫した話としては聞こえない。大いに困ってしまったが、どうにもならず。断片的に聞こえたことばから、近著『孤独の発明』(講談社)の「はしがき」で述べていることと同じ内容を喋っているらしいと察しがつき、話の論理を追うことを少々諦めて、わが右耳が捉えたことばと氏のパフォーマンスから直感的に理解することにした。
 演題では「ベジャール/テラヤマ/ピナ・バウシュ」となっているが、ほとんど寺山修司についての話が展開された。そしてその身体論的懐疑を駆動力とした舞台での表現活動を、ベジャールピナ・バウシュも共有しているのであり、それぞれの創造の拠点、アムステルダム(オランダ)、ブリュッセル(ベルギー)、ヴッパタール(ドイツ)の3都市は車で往来できる一つの文化圏を地理的に構成している、との指摘には目から鱗であった。さらにこの三人に共通していることとして、舞台で流される音楽は、いずれも土俗的なあるいは演歌的なものを掬い上げた音楽であることに注目すべきだとの分析には感動した。なるほど、ピナ・バウシュの舞台を観た後、何か癒されたような気分になって帰路に着いた秘密の一端がわかったのであった。
 三浦氏は、今回の寺山修司展のサブタイトルが「ひとりぼっちのあなたに」となっていて、何かセンチメンタルな甘い印象を与えるだろうが、そうではない、寺山修司の思想的・文学的出発点は孤独の自覚であり、それは人間にとっての普遍的で根源的な存在のありようにほかならない、とこの講演の最初に強調している。『孤独の発明』の「はしがき」でも、社会的文脈においての孤独を問題にしているのである。

 孤独すなわち私という現象が社会的現象であるというのは、私が社会の一員であるというようなことではない。私という現象そのものが、初めからひとつの社会として成立しているということだ。私が政治的現象であるということにしても同じ。私の成り立ちそのものがひとつの政治としてあるということである。私とは、第三の視点としてある私が、身体としてある私を、徹底的に支配するということだからである。
 私とは、私が私を支配するということである。
 心身の関係、すなわち精神が身体を支配するという関係そのものが、まさに社会なのだ。頭(かしら)と手下の関係である。これは封建的とか前近代的とかいうような話ではない。どのような社会においても―とりわけ現代に近くなればなるほど―自分の身体を完璧に支配しうることが、その社会の成員になる資格であり条件なのだ。
 身体の支配そのものに、社会関係が凝縮されている。(p.9 )

 ベジャールの「春の祭典」、寺山修司の「奴婢訓」、ピナ・バウシュの「コンタクトホーフ(KONTAKTHOF)」の舞台の一端を、スクリーン映像で観せながら解説。これらの舞台はむろんすでに観ているので、ビデオ映像に「もうすぐバッテリーが切れます」という大きな表示が出た画面に思わず笑ってしまった。三浦氏、「何分個人のビデオ録画なもんで」と弁解。愉快であった。

 なお、ベジャールの出発点であったベルギーの「20世紀バレエ団」の本拠地ブリュッセルの洋菓子店ヴィタメール(WITTAMER)の苺の小さいケーキを、弔問客のお土産にいただいて昨日食べた。ヨーロッパのケーキにしては甘みが抑制されていて美味しかった。

 ベルギー本店|WITTAMER ヴィタメール オフィシャルサイト
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110904/1315123342(『「ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団」:2011年9/4 』)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20140330/1396141970(『ピナ・バウシュの「春の祭典」:2014年3/30 』)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20171202/1512182487(「楠田枝里子ピナ・バウシュ:2017年2/2 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20171122/1511338064(「モーリス・ベジャール没後10周年:2017年11/22 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110817/1313571973(「ひさしぶりの昭和アングラ・寺山修司:2011年8/17 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20120724/1343134925(「たかがミシュラン、たかが寺山修司:2012年7/24 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130506/1367826256(「寺山修司没後30年:2013年5/6 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20160504/1462359553(「寺山修司命日:2016年5/4 」)