率直な現代演劇論

 小谷野敦の『能は死ぬほど退屈だ』(論創社)は、何編かは個人的にウエブ&ブログですでに読んだことのあるものを含む、演劇・文学論集である。全部に眼を通したわけではないが、関心のある標題のものは一通り読んだ。面白く、文学と演劇を学術的に考究してきた蓄積と、ホンモノを見分けるたしかな感性に裏打ちされていて、大いに教えられた。とくに舞台芸術(パフォ−マンス芸術)に関する論考は、時勢に合わせて語ることなく、能に限らずみずから退屈と感じるものは退屈と表明していて、鑑賞記はかくあるべしと思わされた。
 わが古典芸能との付き合いについて述べれば、かつて羽田昶氏など運営の「能楽鑑賞の会」に発足当初から解散のときまで入っていて、ながく年4回の能公演を各能楽堂で律儀に観ていたし、著者が読み間違えた「銕仙(てっせん)会」の番組も水道橋能楽堂で何回か観ていて、いまでも年賀の案内が届けられる。歌舞伎については、高校生のころから母のお供で、相当な数歌舞伎座および国立劇場に足を運んでいる。十一世・十二世市川團十郎の襲名興行も両方観ている。四代目中村時蔵と八代目坂東三津五郎、ともに不慮の死を遂げた役者が、わが贔屓であったことだけ記しておこう。(なお追記しておくと、その後もたまに歌舞伎を観る機会はあったが、2002年12月、三島由紀夫作通し狂言椿説弓張月』を、鎮西八郎為朝を市川猿之助、高間太郎と琉球の阿公(くまぎみ)を中村勘九郎、為朝の妻白縫姫を板東玉三郎、高間太郎の妻磯萩を中村福助という豪華な配役で観劇して以来観ていない。「大方は中年から老年の女性が観客」(同書)という状況は続いているのだろう。)
 小谷野さんが東大大学院演劇学講座で師事したという渡邊守章氏演出の舞台は、一般の上演史の流れからはめずらしい公演で、印象に残っている。手元にパンフレットがあるのは、セネカ作『メデア』、ラシーヌ作『ブリタニキュス』、『當麻(「死者の書」による)』の三つ。とくに『メデア』は、ローマ時代のセネカ作の初舞台化で、その後多くのギリシア悲劇『メディア』の舞台を観ていても、これは貴重な観劇体験となった。
 現代演劇が、ダンスや舞踏の方へ向っている。「台詞のない、所作事やダンスやバレエにまるで感性がないためも」あって、みずからは「演劇評論家挫折者」であるとしている。人形コレクターで、人形劇にも詳しい社会学者の宮台真司氏も、「演劇の真髄を身体性に求めるのは、間違いでないもののミスリーディングだ。演劇の真髄は、感染(ミメーシス)だ」((『Shizuoka春の芸術祭2009』)と述べて、昨今の演劇がやたらに「身体性」を強調した演出に傾いていることに異議をはさんでいる.
 著者のもう一人の師であったという、内野儀(ただし)東大教授は、「現実空間にある/あってしまう身体とヴァーチャル(=ネット空間へと)に拡散する身体、つまりは身体(化)と脱身体(化)の振幅で常に動き続けているような身体」を「ポストヒューマンな身体」と名づけ、ブログ・BBSのような「オープンスペース(埒外)」でのそれらの共振としての「トランスナショナルなパフォーマンス空間」が出現しつつあるのだと、現代演劇を取り巻く環境の変質を述べている(『劇場文化・SIZUOKA春の芸術祭2008』Spac)。
 小谷野さんは、エッセイ「舞踊について」で、「こと舞踊に関して言うと、どうも猥雑さを放逐しすぎたのではないか」と述べ、日本であまり評価されていないシャクティ&ヴァサンタマラ舞踊団のエロティックな踊りなど、「それ相応の地位を与えてもいいのではないか」としている。同感。シャクティの舞台は好きであった。2回ほど観ていて、情念を揺さぶられた記憶がある。
 文学論では、「平成文学・私が選ぶこの10冊」のどれも、あきれたことに未読なので論及不能である。「これは私の持論だが、文学作品のよしあしに普遍的基準などというものはなく読者の生きている時代と地域、年齢、経験、嗜好などによって評価が違ってくるのが当然なのである」としているのは、首肯できる。しかし文学作品が文学作品たり得るための条件とはなにか、たえず思案していないと危ういだろう。

能は死ぬほど退屈だ―演劇・文学論集

能は死ぬほど退屈だ―演劇・文学論集

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の山茶花(東錦)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆