庭のこと

 (庭の芙蓉=Hibiscus mutabilis)

林達夫著作集4「批評の弁証法」』(平凡社)収録の、「作庭記」というエッセイを読むと、林達夫は、日本回帰も庭いじりも嫌いだったようだ。イギリス・ウィスリーの王立園芸協会のヒース・ガーデンにならって、ヒース・ガーデンを庭の一部に作ろうとしたが、日本古来の植木屋の伝統の壁で、ヒース(エリカ)の研究そのものがむずかしかったとのことである。
「ファーブルは自分の庭を一種のアーボレータムにして自分の植物研究に資すると共に、同時にそこを数限りない虫の集合所にした。私もいわゆる庭作りをしているのではない.私はファーブルよりももっと欲張って、庭仕事によって歴史と美学と自然科学と技術との勉強をしているのである.いわゆる庭いじりは私の最も嫌いなものの一つで、そういう文人趣味には私は縁がない.」
 わが家の庭も、林達夫邸のアーボレータム(arboretum=樹木園)には遠く及ばないが、虫(オンブバッタとカマキリ)たちがけっこう安心して暮らせる、建坪除いて45坪ほどのささやかなアーボレータムではある。灯籠はいちおう置いてあっても、庭全体のデザイン感覚で配置されてない.いやはじめは必然性あって置かれたのであるが、時の推移とともに一つのオブジェとしての存在に格落ちしている.  
 庭の作家といえば、「生涯の垣根」の室生犀星である。福井工業大学の市川秀和氏は、大森馬込の犀星宅の庭のつくりを鮮やかに考察している。
「道路からのアクセスとして、南西端の表門を通って入ると、住居を背景に庭が広がり、玄関に向かって緩やかにカーブした石畳が続いて、この庭全体を完全に二分化している。しかし一列配置の住まいと二分化された庭においては、一体的なつながりを生成している。つまり犀星の書斎空間と「苔の庭」、家族の共有空間と「土の庭」、それぞれが一対となって強く連結しており、かつ両者は完全に対照的な空間的性格を有しているのである。
 以上のような住まいと庭をめぐる幾つかの特徴から、庭の空間を最重視した住居であること以上に、住まいが庭に開かれ、かつ住まいが庭から包まれることにより、住まいと庭が完全に一つとなって、独特な空間性を有する固有な場所として形成されていたように思われる。」(「日本庭園学会H18年度研究大会」市川氏発表レジュメ「室生犀星の“終の住まいと庭”」より)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のルリタマアザミ(エキノプス=Echinops)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆