『室生犀星研究』(室生犀星学会機関誌)第45輯刊行

 室生犀星学会の機関誌『室生犀星研究』第45輯が刊行された。目次を眺めると、須田久美、黒崎真美、黒田敦子と、何やら脚韻・頭韻を踏んでいるような研究者名が並んでいて紛らわしい。
【黒崎真美『室生犀星「人魚使ひ」考』より】
▼犀星は後年、「公園小品」(大正9/8『雄弁』)に浅草の印象を、「浅草は行きつけると妙に行きたくなるところであるが、行かないでゐると、別に行きたく思はない。」(『星より来れる者』1922・2 大鐙閣)と書いている。「乱雑で娯楽機関が非常に低級」で、「何となく犯罪的興趣と、戯曲的場面とを持ってゐる」場所だという一方、「浅草公園そのものが既に空想的である」ともいう。また、浅草の景色は、「非常な遠い10年も20年も以前のことを思ひ出」してノスタルジックな感傷を呼び起こし、「物悲しげな心」にするとも記す。享楽と猥雑な街の空気が、幼い日の千日町の記憶を思い出させたのかもしれない。▼
【黒田敦子『葉山修平「バスケットの仔猫」論』より】
▼(房子は菖子を折檻した後)化粧室へはいり、入念に化粧した。
「バスケットの仔猫」は、川端康成「化粧」(昭和7・4『文藝春秋』)の中の、谷中の斎場で悲しみのあまり、「肩をふるはせしゃくりあげて」泣いていた少女が、厠にはいると、「小さい鏡を持ち出し、鏡ににいつと一つ笑ふと、ひらりと厠を出て行ってしまった」というフレーズから逆算して結構されたものであるかもしれない。▼
❉葉山修平は室生犀星晩年の愛弟子であり、その出会いの契機となった作品が犀星激賞の「バスケットの仔猫」である。なお室生犀星学会2代目の会長を務めている。