ベルトルッチ(Bertolucci)監督追悼

 「ラストエンペラー」の監督が死去 伊のベルトルッチ氏:朝日新聞デジタル
 『ラストエンペラー』巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が死去 77歳 - シネマトゥデイ
 観た作品は、『殺し』、『暗殺の森』(テレビ放送)、『ラストタンゴ・イン・パリ』(DVD)、『1900年』(DVD)、『リトル・ブッダ』(VHS)、『ドリーマーズ』(DVD)。
 映画館(文京区・三百人劇場)で観たのは、監督処女作品『殺し(La Commare Secca=死神)』のみ。

 米川良夫氏のプログラム解説によれば、筋の運びは『羅生門』を思わせ、「こそ泥や売春婦のひもや、同性愛者の男などが登場する場すえのローマの風景は、まさにパゾリーニお好みの世界そのものでもある」、一方「それぞれの人物が語り出すエピソードを警察の取調べ室での尋問という形で始め、しかも尋問する声だけで警察官の姿が見えないのは、まさに」「《シネマ=ヴェリテ》の手法を取り入れたもので、若きベルトルッチゴダールへの傾倒ぶりを物語っている」。
ダイレクト・シネマとシネマ・ヴェリテの違い - No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

 矢島翠氏の「ベルトルッチへの招待」も、『殺し』はそもそもパゾリーニの原案を譲られて撮ることになった映画であり、「クロサワ風の構成を持ち、パゾリーニ好みの人間の顔をあつめた」作品で、まだ自らのスタイルを決めかねている、としている。

 自分のものではない世界を、自分のものではないスタイルを借りて描きながら、それでも、未来の映画作家の資質は、そこここにあらわれずにはいない。例えば夜の公園で、女の脚のように枝をひろげている樹木のエロティシズム。光線とものの官能性に対するおそろしく敏感な目。それは「暗殺のオペラ」や「ラストエンペラー」に共通するものにほかならない。「殺し」は、雑多なスタイルの森のなかでの〈ベルトルッチさがし〉に私たちを誘いながら、しかし、さがし出すまでもなく、彼の方からふと、姿をあらわしてしまうのだ。