ドビュッシー作曲『ペレアスとメリザンド(Pelléas et Mélisande)』の演出は

 こちらのお気楽なtweetに温かい返答をいただいた森岡実穂中央大学経済学部准教授の専門は、19世紀イギリス小説とオペラ表象分析、それにジェンダー批評で、千葉県立船橋高校→東京大学文学部→東京大学大学院英米文学専修博士課程→ノッティンガム大学修士課程修了、という学歴&研究歴とのこと。わが地元の県立船橋高校出身と知り親しみが湧いた次第。さっそくAmazon経由でご著書の『オペラハウスから世界を見る』(中央大学出版部 2013年3月初版)を購入、『ペレアスとメリザンド』とコンヴィチュニー演出の『エレクトラ』などのところを読んでみた。ヨーロッパでの政治的メッセージ性の強い、作品の独自解釈と新演出について論じ紹介している。戦争については、今日のロシアによるウクライナ侵攻という事態を知らず、また違ったメッセージになるかも知れない。「特に日本における東日本大震災、および原子力発電所事故の問題については、今後数年ではっきりとこれに関する批評的見解とその表象が、いくつもの作品の新演出に織り込まれていくことだろう」と展望している。反近代(資本主義)、反原発の思潮の到来を予測しているのだろうが、今は世界的に原発の必要性が再認識されつつあり、政治的メッセージ性の充満した舞台はどうか。そして昨今の手紙の代わりにスマホを使ったり(『椿姫』とか)、ライブ会場で歌ったり(『カルメン』とか)の新演出も、昔演劇の『桜の園』で、木を切り倒すのに斧ではなくチェンソーを使用させたりなどあった、それほど〈新〉でもなく、ただの〈目くらまし〉ではないかとの観客の側の疑問と不満も生まれるのである。昨年8月に観劇したカロリーネ・グルーバー演出の『ルル』などは、ジェンダー論的メッセージの舞台であった。欧米の演劇・オペラは今後この方向が主流になるのだろうか。

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 第3章の題材は、ドビュッシーペレアスとメリザンド》、ショスタコーヴィッチ《ムチェンスク郡のマクベス夫人》である。この20世紀の名作オペラ2作品については、女性の精神的・身分的な「監禁」の物語として、新しい読みによる演出が次々と生み出されつつある。《ペレアスとメリザンド》におけるドメスティック・バイオレンスに着目したヨッシ・ヴィーラーとセルジオ・モラビト、スタニスラス・ノルデの演出、個性的な舞台装置をフルに利用して、《マクベス夫人》の主人公カテリーナが置かれた閉塞状況を徹底的に描き出したジョーンズ、マルティン・クシェイ、セルゲイ・チェルニャコフらの演出を紹介する。(「はじめに」)

 ここで挙げられているヨッシ・ヴィーラー演出の日本での演劇の舞台は観ている。2005年8月、両国のシアター X(カイ)にて、南北作『東海道四谷怪談』。地下鉄の駅ホームを現場とした幻想的で斬新な舞台であった。

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 演目『エレクトラ』の演出で紹介しているペーター・コンヴィチュニーの演出のオペラ作品では、2008年9月上野の東京文化会館大ホールにて、東京二期会のオペラ公演、アレクサンドル・アニシモフ指揮の『エフゲニー・オネーギン』を、2011年2月に、東京文化会館大ホールにて、東京二期会オペラ公演、シュテファン・ゾルテス指揮の『サロメ』をそれぞれ観劇している。『サロメ』は巨大な核シェルターを出来事の現場とした演出であったが、意外と印象は薄かった記憶がある。

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✼このコンヴィチュニーへのインタビューの聞き手役が、森岡実穂中央大学経済学部准教授であった。

學びて思はざれば則ち罔し、思ひて學ばざれば則ち殆し。

『独学の思考法』(講談社新書)の著者山野弘樹さんは、上智大学文学部史学科を卒業、現在東京大学大学院博士課程で哲学を研究している。「はじめに」で、『先行きの見えない不安の中で、「新しい生き方」、「新しい働き方」を目指して学習するという姿勢は、ビジネスパーソンをはじめこれからの時代を生きるすべての方々に求められていると言えるでしょう』と述べている。ポンコツ年代のこちらにはあまり「求められて」いない姿勢であろうが、気まぐれに読み進めようか。

 他人の残した足跡だけを追いかけるという思考の様態は、極めて従属的な性格を有しているものです。これは、知識によって思考が支配されている状態であると言えます。こうした状況になってしまっている人の頭を「他人の思想の運動場」(✼『読書について』)と表現したショーペンハウアーの洞察は、まさに慧眼であると言えるでしょう。(pp.36〜37)
 いずれにせよ、先人の足跡を参考にしつつ「自分の足で走る」ことこそが重要なのです。
 なお、ここで私があえて(「歩く」ではなく)「走る」という比喩を大事にしている理由は、「思考力は長い年月をかけて少しずつ訓練されるものである」という信念を私が持っているからです。
「考える」という営みは、想像以上に「知的体力」を必要とします。「考え続ける」という行為は、本当に頭が痛くなるような営みなのです(それはちょうど、走り続けているとすぐに脚が痛くなるのと同じです)。例えば、「相手の話をじっと聞く」ということですら、真剣に行うとけっこう疲れてくると思います。何かを真剣に思考するためには、私たちは必ず日々の訓練を通して「知的体力」を身につけなければならないのです。(pp.38〜39)



 

十三代目市川團十郎白猿襲名興行ようやく実現

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 十一代目・十二代目市川團十郎襲名興行を過去観劇しているので、この秋(&冬)十三代目市川團十郎白猿襲名興行ようやく実現の運びとなったことを慶びたい。どちらも『助六由縁江戸桜』であったので、十三代目襲名の場合もこの演目のチケットをぜひとも押えたい。

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貫地谷しほり8月の舞台

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 こまつ座公演、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて、井上ひさし作、栗山民也演出『頭痛肩こり樋口一葉』の8/17(水)のチケットを何とか確保できた。貫地谷しほり出演の舞台はひさしぶり、愉しみ。

 

 

与謝野晶子没後80年

 与謝野晶子は1942年5/29に亡くなっているので、本日5/29が没後80年の祥月命日である。亡くなった佐々部清監督の映画『この道』では、羽田美智子与謝野晶子松重豊与謝野鉄幹をそれぞれ演じていた。
 わが庭のユリはもうすぐ開花しそう。

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文学フリマ東京開催

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 この暑さの中盛況だとすれば、文学への関心と情熱は社会的に消えていないといえるだろう。

 

谷津バラ園遠足(個人企画)

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 昨日5/25(水)、習志野市谷津バラ園に個人企画の遠足を実施した。ひさしぶりの訪問。すでに枯れつつあったり散ってしまった品種の薔薇も多くあったが、ほぼ盛りの状況。初夏の陽射しは強かったが、湿度は夏のそれではなく、十分に満喫できた。このバラ園には、薔薇以外の花も開花していて見逃せない。入場門から入って右奥の薔薇の木のすぐ後ろで、春咲きクリスマスローズがまだ枯れないで多く花を付けていたのは感動的。ニオイバンマツリ、ツルニチニチソウブラシノキなども薔薇と張り合って主張し負けていない。
 ここの薔薇では何といっても、習志野市制50年を記念して作出された品種、ローズ50・ならしのが看板であろう。オレンジ色の薔薇で、あまり同系色は多くなくそれなりに存在感がある。

 

 個人的には、鉢植えで薄紫色のかれんという名の薔薇が最も気に入った。同系色で半つる性のブルーフォーユーと、つる紫雲もすてき。『ガラスの仮面』の北島マヤに贈られた「紫のバラ」は、もっと濃い紫色だろう。

 とくに香りが魅力の薔薇が選別されて一画にまとめて配置されている。ここでマスクを外して大いに楽しんだが、誰一人としてマスクを外していない。距離さえ保てばだいじょうぶだろう。せっかくの香り、もったいない。その中にマリア・カラスという薔薇があった。そこそこのオペラファンとしては注目した。

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ニオイバンマツリ

ツルニチニチソウ

ブラシノキ

 堪能して退出。出入り口そばの店でバラのアイスクリームを購入、休憩所で食べた。美味しかった。

 京成線利用で船橋まで行き、東武内の味乃宮川で鰻重をいただき帰宅した。楽しい遠足であった。








 

今日は「世界亀の日(World Turtle Day)」

 今日は、American Tortoise Rescueが2000年に制定した「世界亀の日(World Turtle Day)」だそうである。亀は、種類を問わず互助の精神をもっているようだ。感動。

【『鎌倉殿の13人』の亀】

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