三島由紀夫と吉本隆明

『樹が陣営』(佐藤幹夫個人編集)2008年32号に、「三島由紀夫吉本隆明」の特集がある。そこで社会学橋爪大三郎氏が「三島由紀夫吉本隆明」を寄稿している。氏は、青春時代(高校のわが後輩にあたる。反原発小出裕章氏は、その1年下)に吉本隆明の影響を受けた人であり、すでに吉本隆明論を著していた。作品論はともかく、この個性的な二人の思想・人物論を語る書き手として意外ではなかった。
 この論考では、ほとんど三島由紀夫に焦点をあてて議論を展開している。「日本国憲法」は、その平和主義が「日米安保条約」とセットになっていること、世襲天皇が「国民の総意に基く」という矛盾、非常事態下での規定の欠落など、三島由紀夫の認識の「文学者として破格の見事さ」を、「私の考え方とも大変近い」として賞賛している。近代化とは、「みんなが農業をやめて都会に出てくるという」ことで、「破壊と再生」の過程である。客観的には「自由が拡大し、いいこともたくさん起こる」のであるが、三島は、「何かが根こそぎにされる」との危機感があった。日本を文化的に守る立場を選び、日本の文化の根幹である文学を政治から独立させることが必要と考えた。しかし「文学が文学だけに閉じこもって独立して」しまえば、現実的には無力となる。そこで行動=陽明学知行合一によって、軍事や政治に転化させ、文学・文化以外の世界との「瞬間的なスパークのような」つながりを狙った、という。「政治的効果は求めない」行為であり、「曰く言い難し」の不思議さなのである。しかも「無残」なことに、三島由紀夫の日本文化の防衛的動機そのものが、「西欧的認識によって構成されている」。生活者として土着の立脚点をもっていないのである。
 三島の反共論の根拠である、天皇の保持する〈文化の全体性〉の防衛の論理は、「これまた大変明快な人」橋川文三によって論駁されているとする。近代国家の論理とは相容れないということだ。ただ橋川文三を単純にロゴスの人としてのみとらえることは浅薄ではないだろうか。そのパトスとの軋轢あるいは矛盾を押える必要があろう。「これまた大変明快な人」は、橋爪大三郎氏自身のことだろう。
 さて吉本隆明のほうは、近代化の過程の普遍性を受けとめ、喪失を嘆く共同体主義・伝統主義には組しない。しかし「反動転向者」にころっとひっくり返ってしまうような、「おめでた普遍主義者」の立場にも立たない。
……吉本さんと三島さんは、根本的態度において、何か違いがあるのですね。外傷体験と言うか—もちろん二人とも何かの傷を負って、何かを信じて前進しているのでしょうけれど—違うのです。違うけれども、同年である以上に、同時代であることによる必然的な二つのケースになっている気がします。ぜひ、二人を並べて批評するという人がいてほしいと思います。……

永遠の吉本隆明 (新書y)

永遠の吉本隆明 (新書y)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町に咲く、アザレアの花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆