栗山民也演出、井上ひさし作『頭痛肩こり樋口一葉』観劇(8/17)

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  8/17(水)新宿・紀伊国屋サザンシアターにて、栗山民也演出、井上ひさし作『頭痛肩こり樋口一葉』を観劇。12列目で大丈夫かと心配して臨んだところ、左耳難聴のこちらとしては、女優らの声があまり聴きとれず、舞台は幽霊の花螢(若村麻由美)含めて(女優ばかりの)会話劇なので、展開・内容十分にはわからないまま終わってしまった。これからは(オペラと違い、演劇では)最低でも10列目以内、できれば8列目以内でチケットを購入したい。むろん印象に残ったせりふもある。
 しばらく間をおいて原作を読んでみた。すべて納得できた。原作にはないが、貫地谷しほり演じる樋口夏子が、縁側から畳の部屋に上がるときに2回もズッコケていたが、あれはド近眼の夏子(一葉)を印象づける演出だったのだと理解できた。

井上ひさし直筆署名入り『頭痛肩こり樋口一葉集英社 1984年4月初版
 貧困と封建遺制からくる女性の生きづらさと哀しさを、夏の盂蘭盆行事ごとの幽界からの訪問客も交えた女性たちの会話劇を通して、けっこう愉快にかつ残酷に描いている。東京裁判所の判事に嫁入りして生活に余裕ができたはずの(夏子の従姉妹)八重(熊谷真実)が夫に飽きられて、書生を使って不貞をでっち上げられ家から追い出されてしまう。そして遊郭双葉屋のお角に身を落として、樋口家の盆礼に顔を出す。
夏子:お八重さん、この一年、どこでどうなさっていたの。去年のお盆のお八重さんとはあまりにちがいすぎていて、まるで別人……
八重:女が地獄に堕ちるには三日もあれば充分さ。「たけくらべ」には泣いちゃった。毎月のものが来る前の女の子ってのは天女さまみたいだねえ。ところが女の子が女になると、とたんに売物になる。男どもが値をつける。母親どもは高く売りつけたがる。女が仕合せなのは、女になる前の、世間もなければ世の中もない、あの女の子の時分だけなのさ。「たけくらべ」はまだ最後まで書き終えていないでしょ。精を出してはやくつづきを書いてくださいな。「たけくらべ」を読み終えぬうちは死ぬにも死にきれない。……夏ちゃん、いいえ、一葉女史、もうあなたはりっぱな小説家、ようござんしたねえ。(見回して)もっともその割には、暮らし向きが変わっていないけどさ。
 そこへ帰ってきた八重の叔母にあたる稲葉鑛(こう)が、再婚した夫が遊郭の女に入り浸りで、鑛が手内職で稼いだお金を双葉屋の「小汚い商売女」に貢いでしまうどころか、母親譲りの大切な片櫛までもその女に贈ってしまった。双葉屋知っているならその女懲らしめてくれと八重(お角)に頼めば、八重(お角)正体現わして、その片櫛投げ捨て啖呵を切った。その直後刃傷沙汰となり、八重(お角)も鑛も翌年の盆礼では幽界の側に登場した。可笑しい。米国ドラマ『GRIMM╱グリム』では、主人公ニックの(事実婚上の)恋人ジュリエットが闇落ちして、ニックの母親殺しに加担してしまうが、この戯曲のエピソードもなかなかのもの。
  なお当日、紀伊国屋サザンシアターのある高島屋南館の7Fが、高島屋本館の5Fにあたるというのを、ひさしぶりの新宿だったので失念していて迷走してしまった。「頭痛肩こり」にはならなかったが。

【参考】