黒髪と仏壇


 昨日12/9(日)は、連れ合いの四十九日忌法要。千葉市の葬祭場にて執り行った。この場所が、昨年4月桜のころ、抗がん剤治療のため脱毛し、ウィッグを求めて入店したS千葉スタジオのすぐ裏あたりの大通りにあったので驚いた。20万円を超すウィッグを購入して、桜の輝きにはげまされながら千葉駅に向かったことが、まさかすでにして遠い追憶の出来事になろうとは思わなかった。

 近松秋江の短篇「黒髪」では、京都祇園町の廓の女に溺れてしまった主人公の「私」が、彼女の「身の薄命を省みて、ふと涙ぐむ時など、じっと黙っていて、その大きな黒眸(くろめ)がちの眼が、ひとりでに一層大きく張りを持ってきて、赤く充血するとともに、さっと露が潤んでくる」その時の眼だけでも「命を投げ出して彼女を愛しても厭わない」としているが、髪についてもむろん描写がある。

……冬など蒼白いほど白い顔の色が一層さびしく沈んで、いつも銀杏がえしに結った房々とした鬢の毛が細おもての両頬をおおうて、長く取った髱(たぼ)が鶴のような頸筋から半襟に被いかぶさっていた。

 ※髱(たぼ):日本髪の後方に張り出た部分。
 四十九日忌も終了して、仏壇と霊園&墓地を選定し、買い求めねばならないという課題があり、なかなかたいへんではある。
「黒髪」の結末のところでは、やっと招かれた女とその母親が暮らす建仁寺の裏通りにある家の2階の部屋で「私」は、仏壇を見つける。

 私も笑いながら立ち上がって、その小さな仏壇の扉を開けて中に祀ってあるものをのぞいて見た。一番中央に母子の者の最も悲しい追憶となっている五、六年前に亡くなった弟の小さな位牌が立っている。そして、その脇には小さな阿弥陀様が立っていられる。私は何気なく、手を差し伸べてそれを取ってみようとすると、その背後に隠したように凭(もた)せかけてあった二枚の写真が倒れてので、阿弥陀様よりもその方を手に取り出してよく見ると、それは、どうやら、女の死んだ父親でも、また愛していた弟の面影でもないらしい。一つは立派な洋服姿の見たところ四十格好の男で、もう一枚の方は羽織袴を着けて鼻の下に短い髭を生やした三十ぐらいの男の立ち姿である。私はそれを手に持ったまま、
「おい、これはどうした人?」と、女の着物を畳んでいる背後から低い声をかけた。
 すると女は、すぐこちらを振り顧りながら立って来て、「そんなもん見てはいけまへん」と、むっとしたように私の手からそれらの写真を奪いとった。

 隠された遺影は〈援助〉してくれた男たちのものであろう。とすれば、「私」もいつか仏壇の隠れたところにその写真が祀られるのだろう。怖くて面白い。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000275/files/1676_21590.html(「青空文庫『黒髪』」)
 法事に用意した連れ合いの思い出の写真シート(A4)がけっこう歓迎されて安心した。