西郷隆盛には興味なし

 https://ciatr.jp/topics/238134(「2018年大河ドラマ西郷どん(せごどん)』あらすじ・キャストまとめ【主演は鈴木亮平】」)
 キャスティングだけ知ると面白そうだが、歴史的人物としての西郷隆盛には興味が湧かない。篤姫は、宮崎あおいのイメージを壊したくない。たぶん来年のNHK大河ドラマは、観ないことになりそうである。

 いま読んでいる仲正昌樹金沢大学教授の『〈戦後思想〉入門講義・丸山眞男吉本隆明』(作品社)』に、丸山眞男の論文「忠誠と反逆」⦅『忠誠と反逆』(ちくま学芸文庫)所収⦆についての考察で、西郷隆盛について触れたところがある。
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しかも西南戦争パラドックスは、西郷の勢力がもっぱら薩摩武士のエートスと団結とを支柱としながら、まさにその薩摩自身の幕末以来の足跡は「封建的忠誠」の――少なくもその重要な側面の――相つぐ無視と蹂躙を露わにしていた、ということにある。維新後においても、封建的忠誠の拠って立つ社会的堡塁を解体する上に決定的な意味をもった廃藩置県と徴兵制の施行に際して、西郷は、たとえイニシアティヴをとらなかったとしても、明治政府の最高首脳者として事に当ったのである。

 西南戦争西郷隆盛(1828〜77)は、武士の意地を貫こうとした薩摩武士たちのために旗頭になったわけですが、西郷は征韓論をめぐる対立で政権から退くまで、政府の首脳として廃藩置県や徴兵制などを推進し、事実上の藩主であった島津久光(1817〜87)から恨まれています。つまり、合理主義者のエートスと、武士の非合理的エートスがぶつかったという単純な話ではないわけです。
 四六頁で、「われわれの国の「近代化」は、「封建的忠誠」とその基盤を解体させることによって、同時にそこに含まれたかぎりの「反逆」のダイナミズムをも減衰させて行ったのである」と述べられています。私たちは通常、封建制が崩壊して、近代化していくに従って、人民がお上に対して反抗しやすくなると考えがちですが、丸山は歴史的に見て、「反逆」を起こすようなメンタリティは特定の階層のエートスとして培われていないと弱くなると言っているわけです。幕末の志士たちの非合理的エートスは、封建制の崩壊過程で、江戸時代以前の武士本来のエートスとして復活したのだけど、それに基づく変革運動が成功して、官僚国家が出来上がると、その復活したエートスがまた萎んでいった、という弁証法的な構図が見られるわけです。……( pp.51~52 )
 かつて読んだ、池上英子著・森本醇訳『名誉と順応—サムライ精神の歴史社会学』(NTT出版)も参照したい。

 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100704/1278215868(「サムライとは:2010年7/4 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111202/1322810822(「忠臣蔵の季節:2011年12/2 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20150505/1430797568(「吉田松陰と名誉の文化:2015年5/5 」)