堀田善衛はモスラの生みの親(の一人)

 室生犀星記念館主催の講座「犀星」、今年2/9(土)館長上田正行氏による「堀田善衛と犀星」では次のことが話されたとのこと。

 詩(抒情的世界)と小説(散文的世界)が犀星の中で大喧嘩をし、一人で応仁の乱を演じながら生涯を終えたことに特別の意義を見いだしているようです。確かに「われはうたへどやぶれかぶれ」という作品が最晩年にありましたね。応仁の乱は終わっていなかったのです。

www.kanazawa-museum.jp

 文脈的に逸脱するが、堀田善衛は、あのモスラの生みの親(の一人)であることを知らない人も多いようである。かつてブログに記載した記事(2014年7/26記)を再録したい。

▼そもそもモスラは、作家の中村真一郎福永武彦堀田善衛らが創作したものである。関沢新一作シナリオ付きの『発光妖精とモスラ』(筑摩書房)のあとがき(回想モスラ)で、中村真一郎が書いている。
……最初に、ひとつの映画のなかで、怪獣が幾度か姿を変える「変形譚(メタモルフォーズ)」の物語にしようと思いついたのは私で、そのためには、芋虫からまゆになり、最後に蛾になる、三変化をする蛾の怪物がよかろう、ということになった。蛾、英語のモス(※MOTH)の語尾に、ゴジラにあやかってラ(※LLa)を付けようと提案したのは田中さん(※東京映画のプロデューサー)だったかも知れない。
 物語に恋愛を持ちこむ案を出したのは、ロマンチックな福永で、男は日本人の探検隊員にするが、女は巨人にしようということになり、これは、ザ・ピーナッツという、ふたごの可愛い歌手の売り出しに利用しようということになって、小人に変えられた。私たちの脳裡には『ガリバー旅行記』があった。
 日本の男と小人の女との恋愛の奥に、人間は肌の色や肉体の大小によって差別されるべきではない、というヒューマニスチックな主題をひそませたのは堀田である。……(同書p.171)