本日は室生犀星記念館館長・上田正行先生のご講演!「犀星詩の新しさと魅力」と題し、犀星が生涯持ち続けた葛藤、矛盾性、生活人としての感性が詩の新しさや魅力になっているというお話を頂きました。
— 田端文士村記念館 (@bunshimura) July 14, 2019
堀田善衛が「一人で応仁の乱をした詩人」と犀星を評した話に思わず納得 笑#徳田秋聲記念館でも館長 pic.twitter.com/c2PlgcP2X2
室生犀星記念館主催の講座「犀星」、今年2/9(土)館長上田正行氏による「堀田善衛と犀星」では次のことが話されたとのこと。
詩(抒情的世界)と小説(散文的世界)が犀星の中で大喧嘩をし、一人で応仁の乱を演じながら生涯を終えたことに特別の意義を見いだしているようです。確かに「われはうたへどやぶれかぶれ」という作品が最晩年にありましたね。応仁の乱は終わっていなかったのです。
文脈的に逸脱するが、堀田善衛は、あのモスラの生みの親(の一人)であることを知らない人も多いようである。かつてブログに記載した記事(2014年7/26記)を再録したい。
▼そもそもモスラは、作家の中村真一郎・福永武彦・堀田善衛らが創作したものである。関沢新一作シナリオ付きの『発光妖精とモスラ』(筑摩書房)のあとがき(回想モスラ)で、中村真一郎が書いている。
……最初に、ひとつの映画のなかで、怪獣が幾度か姿を変える「変形譚(メタモルフォーズ)」の物語にしようと思いついたのは私で、そのためには、芋虫からまゆになり、最後に蛾になる、三変化をする蛾の怪物がよかろう、ということになった。蛾、英語のモス(※MOTH)の語尾に、ゴジラにあやかってラ(※LLa)を付けようと提案したのは田中さん(※東京映画のプロデューサー)だったかも知れない。
物語に恋愛を持ちこむ案を出したのは、ロマンチックな福永で、男は日本人の探検隊員にするが、女は巨人にしようということになり、これは、ザ・ピーナッツという、ふたごの可愛い歌手の売り出しに利用しようということになって、小人に変えられた。私たちの脳裡には『ガリバー旅行記』があった。
日本の男と小人の女との恋愛の奥に、人間は肌の色や肉体の大小によって差別されるべきではない、というヒューマニスチックな主題をひそませたのは堀田である。……(同書p.171)