庭のアヤメ(文目)が咲いた。2011年6/4のブログ記事「あやめと花あやめ」を掲載(4回目)しておこう。
▼わが家の庭には、菖蒲とアヤメがともに植えられてある。アヤメは、昔は花あやめ、菖蒲はあやめと、それぞれ呼称されていたらしい。植物の分類でも、菖蒲(あやめ)はサトイモ科で、アヤメ(花あやめ)は、アヤメ科である。さ月4日に観た芝居の役者吉岡求馬(もとめ)が、翌日急死、追善の句「花あやめ一夜にかれし求馬哉」(岩波文庫『芭蕉俳句集』)は、アヤメ。「あやめ草足にむすばん草蛙の緒」or「あやめ草紐にむすばん草蛙の緒」&「ほとゝぎす啼(なく)や五尺の菖(あやめ)草」(岩波文庫前掲書)は、菖蒲ということだろうか。
さらに、花菖蒲(ハナショウブ)と杜若(カキツバタ)を並べて、その区別をすることとなると、やっかいである。
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本歌取りもしくは引用の伝統について論じた『引用する精神』は、芭蕉の「ほとゝぎす啼(なく)や五尺の菖(あやめ)草」の句を分析している。かつてHPに記載したreviewから。
◆「述べて作らず」の精神こそ、わが邦の学問と文藝の伝統であることを論じた、勝又浩法政大学教授の『引用する精神』(筑摩書房)は、実に示唆に富んでいる。菅原道真の「学問ノ道ハ抄出ヲ宗ト為ス。抄出ノ用ハ藁草(今風にいえば、古今の情報を収録したフロッピーにあたるようだ)ヲ本ト為ス」の言葉は、感銘は受けるが、直接はこちらに関わりがない。藤原良経の「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」の歌をめぐる本歌取りについての議論が面白く勉強になった。
現代の解釈では次の三首ないしはじめの二首がこの歌の本歌候補だそうだ。
わが恋ふる妹は逢はさず玉の浦にころも片敷き独りかも寝む (万葉)
さむしろに衣かたしきこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫 (古今)
あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む (万葉)
「百人一首」にこの「きりぎりす……」を選んだ定家には、「さむしろに……」の古今の歌を本歌にした秀作がある。
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治のはしひめ
「片敷くのは衣だという定型表現」を前提にして、「衣ならぬ川に映る月をかたしく」という「見事な転換」の妙が定家の歌にあるとすれば、良経の歌のほうは、橋姫に失恋して「衣かたしきひとりかも寝む」との、万葉の「わが恋ふる……」に連なる純朴さは感じられても、表現として「凡庸、あるいは迂闊な盗用」でしかない。そこで立ち止まり、勝又教授は、この歌の本当の本歌を次の歌ではなかったかと推定している。
ほととぎす鳴くやさ月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな (古今)
「きりぎりす……」の上句の語勢はここからきているし、季節は春を秋に移し、恋を失恋に進めていて「見事な換骨奪胎」の表現になっているのである。なるほど首肯できる。ゾクゾクする考察だ。
きりぎりすは、古今以降「こほろぎ=鳴く虫」の名と入れ替わっていて、きりぎりすは新しい歌種として注目されはじめたところで、「きりぎりす……」の歌が「ほととぎす……」の変奏として読まれ、人々の驚嘆を誘ったのではないか。
この「ほととぎす……」の序詞の部分を本歌取りして、作られたのが芭蕉の一句。
ほととぎす鳴くや五尺のあやめ草
「さ月=五月」が「五尺」に変換されている。ところが、俊恵法師の言葉として、「五尺のあやめ草に水をいかけたるやうに歌は詠むべしと申しけり」とあり、芭蕉はこれも踏まえているわけだ。この句は、「横から見ても縦から見ても、一語一句すべてが何首かの本歌の影を映した引用合成」の傑作なのだ。おそらく現代小説といえども、このような表現の連鎖を基盤にしてのみすぐれた作品が作られるであろう。
なおこの稿には余談的面白さもある。「五尺のあやめ」を文字通りとれば、1メートル50センチの丈のあやめということになり、それはないようだ。あやめも菖蒲もカキツバタも大きくて80センチ止まりとのことだ。俊恵法師の「五尺」は、教授の推定によれば、正確には古代的単位の「五咫(し)」で、一咫(し)は約18センチだから、「五尺」すなわち「五咫(し)」は約90センチ、よく伸びたあやめ草の形容としてはピッタリなのだそうだ。知的興奮を味わえる想像である。(2004年7/11記)……