会津まつりと綾瀬はるかさん


 2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』は、熱心に視聴。面白かった。女優綾瀬はるかは、この夏のTBS連続ドラマ『義母と娘のブルース』の岩木(宮本)亜希子役もそうであるが、ある強固な信念をもってまっすぐに突き進んで生きていく女性をシリアスにもコミカルにも演じさせると、当代第一といえるのではないか。
 http://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=taiga52(「NHK大河ドラマ『八重の桜』」)
 火曜ドラマ『義母と娘のブルース』|TBSテレビ
 ところで、大河ドラマ『八重の桜』では、主君の松平容保公以下、会津藩士の生き方の下手さが描かれ、維新における被害者性が浮き彫りにされていたが、史実としては、京都人の怨みを買う仕打ちもしていたようである。

 第四章磯田道史国際日本文化研究センター准教授の報告「禁門の変ー民衆たちの明治維新」では、禁門の変の時に京都市街の焼き討ちについて、残存している当時の民衆の証言からその実行の主体を明らかにしている。

 長州の潜伏ゲリラを恐れて、会津や薩摩が火をつけた。町年寄が彼らと交渉をして、放火を免れた町もあったようですが、たいていのところは焼かれてしまった。これ以後、会津藩京都市中での評判はいっそう悪化します。当然だと思います。(p.101 )

 戦乱収束後の各藩の行政的態度・手腕に違いが出たとのことである。

 禁門の変後、幕府と加賀藩薩摩藩が京都での行政的存在感をみせました。特に薩摩はその卓抜した行政能力を見せつけることはなはだしかった。もちろん、会津藩京都守護職の屋敷米を配ったりしていますが、ここには救恤(きゅうじゅつ)の記載が見られません。薩摩ほどうまくは立ち回らなかったということですが、この違いは決して無視できないものでした。(p.105 )