小室直樹&山本七平『日本教の社会学』


 (小室直樹山本七平日本教社会学講談社・1981年8月初版)
Twitter
政治備忘録宮崎哲弥氏が昨日の『ザ・ボイス』で紹介。 「色んな所で極めて重要な本だと紹介し再刊を希望してきたが、ついに再刊された。日本社会を支配している日本教とはいかなるものか」小室直樹, 山本七平日本教社会学 (12/3 )
 http://www.1242.com/program/voice/(「ザ・ボイス」)
 この二人の対談で、言霊(ことだま)信仰の日本文化との関連で差別の問題を論じ合っているところは、注目したい。
……
山本:冗談をいったら侮辱になり、「冗談いうな」といって怒りますからね。だから日本ではユーモアやジョークが論争において入り込む余地がないということは、言論の自由がないということのひとつの重大な兆候なんです。
小室:そこでいちばん驚いたのは、この前の東京都知事選のときに、ある候補者が差別用語を使ったというわけで、選挙管理委員会選挙公報を書き直したというんです。しかも学者も、言論人も、評論家も、そのことをなにもいわない。つまり、これが「差別用語」であるということは、ある人の判断でしょう。一つの仮説にすぎない。ところが選挙公報を書き直させられるということは、明白な国民の基本的権利の蹂躙です。違法ですらある。それが、ぜんぜん問題にならないというのは、「差別用語」という単語じたいが絶対化している。それこそ言霊の信仰によって、単語が一人歩きしている証拠です。つまり、「差別用語」を使うやつがいるから差別がなされるということになるわけです。たとえば、私が差別反対論者にこう質問をするとします。あなたはいかなる差別に反対するんですかと。そうするとみんな口をそろえて、いかなる場合の、いかなる差別にも絶対反対するんだといったら、差別撤廃なんかできっこないです。アメリカの場合ですと、差別撤廃の具体的な例として、就職における差別、就学における差別、住居における差別の撤廃だとか、内容を限定するんですよ。そうしなかったら差別撤廃ということは意味ありませんもの。
 ところが日本において、いかなる差別にも反対だなんていうものですから、表面において差別という言葉をつかってならないと同時に、差別が地下に潜行してしまって、依然として残存するというようなジレンマが必ず起きる。……(pp.59~60 )