映画『蜜のあわれ』鑑賞



 室生犀星の『蜜のあはれ』を映画化した、港岳彦脚本、石井岳龍監督『蜜のあわれ』をDVDで鑑賞した。DVD再生プレイヤーが壊れてしまったので、ゲーム機のプレステ3使用で観たため、音声が小さく聴き逃した台詞もあったが、愉しめた。自分を「あたい」と言う、金魚=少女の赤子を演じた、二階堂ふみが愛らしくいい。この若い女優の演技力については、川端康成の『みずうみ』を原作として舞台化した、岩松了演出の『不道徳教室』(シアタートラム公演)で観ていて、すでに知っている。「をぢさま」と呼ばれる老作家(大杉蓮)は、原稿用紙に書く文字の書体、風貌など犀星らしく工夫されている。大杉蓮は、昔観た 廣木隆一監督の『不貞の季節』のSM作家(団鬼六)のイメージが重なり、悪戯ごころの少年を残した犀星とズレて観てしまうところもあったが、さすがに巧いものである。
 原作のことばのやりとりがもつ香気と味わいに欠けるのはやむを得まい。「あたい」が、自分をモデルに描いて雑誌社から受け取った金銭の一部を「をぢさん」から取り立てる始めのところ、原作ではその会話が念入りに描写されている。映画では、あっさり紙幣を受け取って、「あたい」は外出してしまう。
(魚拓「炎の金魚」:栃折久美子
……
「をぢさまはずるいわね。あれ、本統をいへばあたいのお金ぢゃないの。」
「さういふことになるかね。きみを見て畫いただけで、それがきみのお金になるものかな。」
「あたい、いつ下さるかと、窓の方を毎日のぞいてゐたのよ、で、ね、あと半分のお金、いただきたいわ。」
「一たいきみは何を買ふつもりなの。」
「お友達の金魚をたくさん買ってほしいのよ。」
「あ、さうか、遊び友達がいるんだね、それは気がつかなかった。」
「それから金魚餌といふ箱入の餌がほしいわ。かがみのついてゐる、美しい箱なのよ。」
「かがみっていふのは錫の紙の事だらう、あれはかがみになりますかね。」
「水にぬれるとぴかぴかして、かがみみたいになるわよ、それからね、めだかをたくさん買ふの。」
「そんなめだかどうするんだ。」
「めだかの尾がとてもおいしいんですもの。毎日少しづつかじってやるの。」
「尾をかじっては、めだかが可哀さうぢゃないか。」
「齧ってもかじっても、目高の尾といふものは、すぐ、生えてくるものよ、だから、可哀さうなことないわ。」……
 犀星には「金魚のうた」という詩もある。『動物詩集』(S18年初版、日本絵雑誌社刊)所収。ほるぷ出版の復刻版から。
(画:恩地孝四郎
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100624/1277369526
   (「室生犀星原作・NHKドラマ『火の魚』:2010年6/24 」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130402/1364888169
   (「室生犀星の小説:2013年4/2 」) 
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20130622/1371886275
   (「ストーカー教師の悲哀『不道徳教室』:2013年6/22 」)