野坂昭如「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」を読む



 12/9に亡くなった野坂昭如氏については、ご冥福を祈りたい。あくまでも作家野坂昭如として遇したいので、世評が高い作品「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」と、「紀元は二千六百年」を読んでみた。二つの作品の収録は、ほか5作品とともに『野坂昭如ルネサンス6・骨餓身峠死人葛』(岩波現代文庫)。同書巻末解説で、松本健一氏が「人間社会の繁栄をささえているのは数多の死である」というこの作家の現世観が、「骨餓身峠死人葛」にはっきりと窺え、「こういう人間(社会)の本質はいつの時代でも同じ」つづめれば、「戦争下でも平和時でも、人間のやることは変わらない」というのが、野坂昭如の思想であり、「その思想をもっともよく表わしているのが、本巻でいえば」「紀元は二千六百年」であろうとしている。この解説に導かれて、この2作品を読んだ次第である。
「骨餓身峠死人葛」の舞台は、九州の入海をながめる丘陵の、最も峻険な峠、骨餓身峠の小さな葛炭坑。この所有・経営者葛作造とたずの息子節夫と妹のたかをの近親相姦の悲劇の物語が軸となって、構成されている。人の屍を養分として卒塔婆に蔦を絡ませて生長する植物、死人葛(ほとけかずら)の白い可憐な妖花を愛した妹のために、肺病病みで命絶える間際のみずからの身体を土中に埋めさせた節夫の人生は哀しいが、父作造に犯されて産んださつきと、40代半ばの歳になって母娘の交情に耽り、逃げたさつきを追って最期は男に強姦されその股間卒塔婆を突っ込まれて命果てたたかをの生と性は凄惨である。死人葛の実からは上質の澱粉がとれることがわかってからは、石炭に代わって、この植物の繁殖のみが集落の人びとの命を保障するということで、養分となる屍を求めて、それこそ老若男女が乱交を続けることになる。このあたりのしつこい描写は、〈戦中派〉の面目躍如ともいえるのだろうが、おいおいという感じである。
 聖母性と娼婦性を併せ持つ少女たかをの魅力は、息つかせぬその文体でいっそう光るところがある。
……とんとんと足ぶみし、棒をさしこみ、死人葛を幾重にもからませ、ほっと溜息ついてたかを、なおいとしそうにつるの綾なすのをなでさする、月光を浴びて、はだけた胸から片方の乳房がこぼれ、ふとももも半ばあらわとなっていて、節夫は今眼にした光景よりも、その輝くばかりの白い肌と、横顔にみとれるうち、たかをついと節夫に視線をむけ、そこにいたことを知っていたのか、なんのこだわりもなく、にこりと笑いかけた、「これでよか、きっと死人葛の花ばさかすたい」そのままの姿で近より、「あげんきれいな花は、みたことなか」いいつつ、節夫の胸にすがる。……(p.20)
……眼ぎらぎらさせた作造、仁王立ちとなっていたが、たかをに近づくと、その足首ぐいとつかんで、引き裂かんばかりに拡げ、「これみれ、生ぐさか匂いまでしちょる、ほれ、つごうておったにまちがいなか」まことに狂った如く、ひたとたかをの秘所をみつめ、やがてだまりこくる。……(p.24)
 この炭坑は閉山となり、貯水池への閘門(こうもん:Lock)を備えた水流が造られる。「万歳」の声の中、市長は、「これで市もあらたなる発展ば約束されたちゅうこったい」とつぶやき、さらに「うんにゃ、葛坑は、火やら水やら、よう役にたってくれますたい」。ここと、釜ヶ崎を舞台にした「紀元は二千六百年」の次のところは照応している。
……しかし、あれだけ万博がさわがれているのに、いっこうその気配釜に臭わないのは不思議で、これを目当てに流れこんだ連中、止むなくアンコで時をかせぎ、となると、人手が余るからピンハネがひどく、それに文句いわない奴だけを現場へ連れて行く、「なにしろ万博ってえ奴は、あまりこっちにはいいことないようだねえ」美夫がつぶやくと、「そらな、えらいさんのお祭やねんから、まあ関係はないかもしれん」……(p.274)

「骨餓身峠死人葛」との関連で「甘美で、おぞましい兄妹婚の話」を「見事な短篇小説に仕立てた」作品として、解説の松本健一氏は、夢野久作の「瓶詰の地獄」を紹介している。さっそくわが所蔵の『夢野久作全集』(三一書房)第1巻収録の同作品を読む。船が難破して、たまたま食糧豊富な無人島に流れ着いた兄と妹が10年ほどに及ぶ歳月を過ごして互いに愛し合うようになる物語。3回手紙を入れた麦酒瓶を海に流している。この三つの瓶が日本のある村の海岸に漂着、手紙の内容が流された順番とは逆の順で明かされる構成。巧みである。二人が退っ引きならない近親相姦の関係に追い込まれてしまう経緯がわかり、悲劇性が際立つ。


 なお野坂昭如は、葉山修平の『終らざる時の証しに』(ニトリア書房)の帯の推薦文を書いているのである。
 http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20140330(『「そうだったのか現代思想」つづき』)

 昨日は、庭の一歳柚子を捥いで、柚子湯に使用。